枚岡神社は大阪府東大阪市の生駒山麓に鎮座する神社で、河内国一之宮として格式も高く、また元春日と称される極めて創建の古い神社です。
本記事では、枚岡神社の創祀・由来の他、祭神とそのご利益について紹介します。また元春日と呼ばれる所以についても説明し、この神社の魅力についてまとめたいと思います。
枚岡神社の創祀・由来と社格
枚岡神社は河内一宮として格式高い神社で、その創祀も神武天皇即位前と伝えられるほど古い神社です。
この創祀・由来と神社としての格式に関して説明したいと思います。
枚岡神社の創祀と由来
枚岡神社の創祀は、初代天皇とされている神武天皇が、大和の国で即位される3年前と言われています。実に日本の皇紀以前にまでさかのぼる歴史で、まさに神話の時代なのです。
神武天皇が東征の折に勅命を発出され、それを奉じて天種子命(あめのたねこのみこと)が国の平定を祈願するため、天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売御神(ひめみかみ)の二神を生駒山中の神津嶽に祀られたのが、枚岡神社の始まりとされています。
神津嶽は現在の枚岡神社よりもさらに生駒山を登った所にあり、現在はその場所に碑が建てられています。健脚の方は、ここまで足を延ばして参拝されるのも良いでしょう。
長く神津嶽の地に祀られていた枚岡神社は、孝徳天皇の時代の650年に現在の山麓の場所に、遷座されたと伝承されています。
この当時は難波宮に都が置かれた時代で、難波宮から見た鬼門の方角を護るために、枚岡神社を整備し遷座させたものと考えられています。
その後、778年に春日大社より、武甕槌命(ふつぬしのみこと)・斎主命(たけみかづちのみこと)の二神をお迎えし、4祭神を祀る現在の姿となり、本殿も四殿となりました。
その後も、堀川天皇がこの枚岡神社を参拝される等、朝廷からの尊崇を受け、大切に守られて来たとされています。
枚岡(ひらおか)の地名の由来
枚岡神社は古くは枚岡社・枚岡大明神・平岡社・平岡大明神と呼ばれた時代もあったとの事です。
枚岡神社の枚岡は、ひらおかと読みますが、その名前の起源としては、古文書に「山嶺平夷の所に創建せられたるより平岡と称せし」や「社地より南方は概ね平坦にして小高き岡なりしが故称せし」とあり、この地が「ひとひらのおか」枚岡となったとの事です。
さらに、やまとことばでは一字一字の文字に意味があったとされ、「ひ」は神様の御霊を表し、「ら」は沢山や一杯という意味があるとされ、ひらおかは神様の御霊が一杯ある所と言う意味にもなるとの事です。
まさに枚岡神社は、「神の気」に満ち溢れる神社と言えるのです。
枚岡神社の社格
中世の大阪は、現在の大阪市は摂津の国と呼ばれ、その東側に隣接し、淀川以南で大和側以北に位置する一帯は河内の国と称されていました。
各国毎に一之宮の制度が導入されると、枚岡神社が河内一宮とされたのです。ちなみに、現在の大阪府では他に摂津国一之宮が住吉大社で、和泉国一之宮が大鳥神社です。
また明治初期には、朝廷や国家から幣帛料を支弁される官幣大社にも選定され、格式高い神社として今日にその社格が継承されてきました。
ご祭神とご利益
由来の中で、枚岡神社本殿に祀られているのは、四祭神だと記しました。この四祭神は幣殿の奥にある四つのそれぞれ別の朱塗りの本殿の中に祀られています。
拝殿でお参りする場所は、四祭神の中でも主祭神の本殿の正面に設けられています。
ここでは四祭神や摂社や末社に祀られている神様の説明と、そのご利益について記載します。
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
天児屋根命は皆さんご存知の神話で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れられた時に、その美声で祝詞を奏上された神様で、枚岡神社の第一神・主祭神とされています。
この天の岩戸開きで、初めてお祭りを行い、祝詞を奏上して無事に天の岩戸を開いた功績から、天児屋根命は「神事宗源(しんじそうげん)」の神と称えられています。いわば神主の始祖神とも言える存在なのです。
またその後の天孫降臨の神話では、邇邇芸命(ににぎのみこと)に随行し、特に重責を担われました。具体的には天照大御神や高皇産霊神(たかみむすひのかみ)から、皇孫を助け護るようにとの神勅を受けら、それを忠実に遂行されたのです。
この神勅を授かった天児屋根命は、あの大化の改新で有名な中臣鎌足の先祖となられたと伝えられています。この神話は中臣氏が河内地方を拠点としていた事と符合する話です。
また、皇孫を助けるようにと言う神勅は中臣氏が藤原氏と名前を変えて以降も、長く守り続けられたとも言えます。
こうした神話を持つ天児屋根命のご利益としては、国家安泰・家内安全・夫婦和合・開運招福と言われています。
比売御神(ひめみかみ)
比売御神は天美豆玉照比売命(あめのみづたまてるひめのみこと)とも称され、天児屋根命の后神です。
常に天児屋根命を妻として助けられた内助の功、そして御子神である天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を勇猛で賢明な神として育てられた事から、良妻賢母、女性の鑑と仰がれる神様です。
こうした事から比売御神のご利益としては安産・子授け・除災とされています。
経津主命(ふつぬしのみこと)
経津主命は香取神宮の御祭神として有名な神です。比古自布都命(ひこじふつのみこと)・斎主命(いわいぬしのみこと)と称される事もある神です。
この経津主命は国譲り神話において、武甕槌命と共に出雲国に派遣され、大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りを迫り、成し遂げられた神様です。
この国譲りの大役を見事に果たされた事から、武運守護の大神と仰がれています。
経津主命のご利益としては、商売繁盛・病気平癒・元気回復・交通安全とされています。
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
武甕槌命は鹿島神宮の主祭神として知られた神様です。
神話の国譲りにおいては、経津主命と共に高天原の最高司令神から出雲に派遣され、見事に国譲りを成功に導いた神とされています。
まさに日本国の平定における武力と権威の象徴とも言える神様なのです。
武甕槌命のご利益としては、必勝・厄除けとされています。
以上の四祭神が祀られた枚岡神社のご利益をまとめると、国家安泰・家内安全・夫婦和合・開運招福・安産・子授け・除災・商売繁盛・病気平癒・元気回復・交通安全・必勝・厄除けとなり、まさに全ての願いを叶えてくれる最強の神社と言っても過言ではありません。
その他のご祭神と境内社
・摂社 若宮社
摂社である若宮社には、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)が祀られています。
この天押雲根命は天児屋根命と比売御神の間に生まれた御子神です。
この神様は水に関わる神様で、それもあってか若宮社の左奥には「出雲井」と呼ばれる井戸があります。ここには、古くから神聖な水が湧き続けています。
現在の枚岡神社がある所は出雲井町ですが、この町名はここの井戸の出雲井から来ていると思われます。なを、現在の若宮社の建物は、明治20年に改築されたものです。
・末社 天神地祇社(てんじんぎしゃ)
枚岡神社には、かつて19の末社があったとされています。
椿本社(猿田彦神)・青賢木社(天磐立神)・太力辛雄社(天手力雄命)・勝手社(受鬘神)・地主神(枚岡社地の地主神)・笠社(風神)・住吉社(住吉明神)・飛来天神社(天之御中主命)・岩本社(岩本明神)・佐気奈辺社・一言主社(一言主神)・坂本社(山王権現)・素盞鳴命社(素盞鳴命)・八王子社(王子八神)・戸隠社(天八意思兼命)・大山彦社・門守社(櫛石窓神・豊石窓神)・角振社(角振神)・官者殿社(素盞鳴命の荒霊)という多彩な神々が末社として祀られていました。
これらの境内にあった末社と近隣の町や村に祀られていた氏神様を合祀し、この末社は明治5年に新たに祀られたものです。
・神津嶽本宮
枚岡神社の創祀の地は、先にも記載した生駒山をさらに上った神津嶽で、ここには昭和56年に石碑が立てられ、さらに平成5年に石の社殿が建てられました。
この神津嶽周辺には、多くの古代祭祀跡が発掘されており、古代にここに枚岡神社があった事が推察されます。
ここを見学するには、枚岡神社から急坂を30分ほど登る必要があり、非常に大変ですが、地図を片手にハイキングがてら登られるのも良いでしょう。
大阪平野を一望できる眺望は素晴らしく、こうした広大さが感じられる所に枚岡神社が創祀された古代の人の心を感じる事が出来るでしょう。
枚岡神社が元春日と呼ばれる所以
枚岡神社の鳥居の手前の近鉄電車の線路のすぐ側に、「元春日 平岡大社」の石碑が建っています。
余り知られていませんが、この枚岡神社は元春日とも呼ばれているのです。ここでは枚岡神社が、元春日と呼ばれているゆえんについて、説明したいと思います。
先に枚岡神社は、難波宮の鬼門の守りとして、本宮から現在の地に移され、整備されたと記しましたが、その後都は平城京へと遷都され、立派な都が造営されました。この時に、藤原氏は平城宮の鬼門の守りとして春日大社を現在の地に整備して祀りました。
この際に春日大社には、枚岡神社から天児屋根命と比売御神が分祀され、また香取神宮から経津主命を、そして鹿島神宮から武甕槌命を分祀して四祭神が祀られました。
これは春日大社の縁起にもしっかりと記載されているもので、枚岡神社は春日大社のはじまりの神社であるとして、元春日と呼ばれるようになったのです。
春日大社に四祭神が分祀される際に、武甕槌命は白い鹿にまたがって奈良に出向かれ、春日大社に祀られました。奈良公園の鹿はこの白鹿の子孫だと言う言い伝えも残っています。
枚岡神社の祭礼とユニークな神事
ユニークなお笑い神事
枚岡神社では様々な神事が行われていますが、その中でも枚岡神社の主祭神が天児屋根命である事から行われているユニークな神事にお笑い神事と言うのがあります。正式な神事名は注連縄掛神事と言うのですが、一般的にはお笑い神事として知られています。
この神事は天の岩戸に天照大御神がお隠れになったのを、天児屋根命がその美声で祝詞を奏上して、天の岩戸開きに功績された神話に纏わるものです。
そしてこの神話では、その後に天照大御神が天の岩戸に再びお隠れにならないようにと、注連縄がかけられたと続くのです。
この神話に因んで、しめ縄を張り替えて新しいしめ縄をお祓いし、この一年にあった様々な出来事を、皆で大声を出して笑い飛ばし、元気に新年を迎えようと言うのが、この神事です。
このお笑い神事は12月23日に営まれ、その準備として写真の様に境内の大きな石の灯籠には滑稽な神の姿が描かれた絵が嵌め込まれ、普段は神秘な雰囲気の境内に、ほっこりとした微笑ましい光景を演出したりされています。
神事はまず朝の8時過ぎから、氏子総代が白装束姿で新しい注連縄を調え、掛け替えて準備を行います。
そして10時から、注連縄・宮司・祭員・参列者の順にお祓いします。そして台に上った宮司が、「あっはっはっー」と大声で先導します。それに続いて全員で「あっはっはっー」と、3回続けて儀式的に笑います。
この後、宮司が注連縄掛神事と「笑い」について話されます。そして話の後には再び20分間、皆で大声を上げて笑い合うと言うユニークなものです。
盛大な布団太鼓台の宮入りで有名な秋郷祭
秋郷祭は毎年10月14~5日に開催される収穫に感謝する秋祭りです。大阪府内では地車(だんじり)が曳きまわされるのが一般的で、枚岡神社のある東大阪市でも各町の氏神様を祀る神社では地車が運行されます。
しかし枚岡神社では布団太鼓台が町内を練り歩き、最後に宮入が行われます。布団太鼓台は神輿で、その屋根の部分が赤い布団を重ねたもので、そこに神が鎮座されるとされています。
枚岡神社の氏子の町々は、生駒山の山麓の傾斜地にあるため、地車の曳きまわしが困難なために、この布団太鼓台になっているものと思われます。
枚岡神社の氏子の町は多く、宮入では大小合わせて23台もの布団太鼓台が境内を練り歩き、埋め尽くします。まさに圧巻と言える光景です。この布団太鼓台の祭礼としては日本最大の規模と言えます。
近隣の見どころ、姥が池(うばが池)
枚岡神社の境内から5分ほど北の山道の傍らに、小さな池があります。何となく不気味な印象を受ける池です。実はこの池には600年ほど前に、老婆の身投げと言う悲しい伝説が残されており、この伝説も枚岡神社に関わるものです。
その伝説は、枚岡神社の御神燈の油が毎夜なくなり、灯された火が次々と消えると言う事が起こりました。
当初は妖怪の仕業ではと、村人から不気味がられていましたが、実際には生活に困窮した老婆が油を盗んで売っていた事が判明しました。
老婆を取り押さえた神職は、訳を聞いて気の毒に思い、そのまま釈放して上げました。しかし、この噂が広まり、いたたまれなくなった老婆は、池に身を投じて自殺してしまったのです。
老婆が身を投げた事に対し、村人達は明神の罰が当たったとして誰も同情する事はありませんでした。
この出来事の後、雨の晩には青白い炎が池の周囲に出現し、村人達を悩ませたと言う話です。
この伝説は、井原西鶴の短編話などに「姥が池の姥が火」として登場してくる話です。
まとめ
枚岡神社は河内一宮で、大阪でも歴史ある神社の一つです。また元春日とも呼ばれ、世界文化遺産の春日大社に祀られる二神は、この枚岡神社から分祀されたもので、由緒ある神社でもあります。
ご祭神は天児屋根命・比売御神・経津主命・武甕槌命で、どんな願いも引き受けてくれる最強の神社と言えるのです。
しかし、その成り立ちから現世利益を願う神社と言うよりも、国家の安泰や家族の安寧を願う神社の性格が強いとも言えます。