近年では小説や漫画、ゲームでも取り上げられ広く知られることになった陰陽師。式神を使い、鬼を従え、怨霊を沈め、呪詛払いをする独特の能力が印象的です。
その中でも平安の天才陰陽師とも言われた数々の伝説を持つ「安倍晴明」は有名です。
安倍晴明といえば、都があった京都府のイメージがありますが、実は出生は大阪市の阿倍野区。
今もその出生の地は、閑静な住宅街の中に「清明神社」として祀られています。
大阪の安倍晴明神社では、キツネの子とも言われているほど人間離れした知性ある陰陽師、安倍晴明のルーツを知ることができます。
陰陽師「安倍晴明」とは
平安時代の中期、都では貴族たちが栄華を極め、雅な生活を送っていた時代に安倍晴明は存在しました。
富と権力で思うがままの貴族たちでしたが、「疫病」や「天災」といった予測できず目に見えない災いは、自分たちではどうにもならない脅威として恐れられていました。
もたらされる災いはすべてこの世のものでない「怨霊」の仕業だと信じられ、それに唯一立ち向かえる存在が「陰陽師」でした。
陰陽師は現代でいう公務員のようなもので、朝廷の中でも重要なポジションでした。
それは朝廷のトップでもある帝の部屋を守るように、鬼門の方向に陰陽寮が配置されるほどだったのです。
安倍晴明はもともと政治に関与できる立場ではありませんでしたが、類なまれなる才能で朝廷から信頼を経て、47歳(推定)の頃に陰陽師の朝廷での地位を押し上げた人物でした。
陰陽師の占いやお祓いといった占術的なものは、宇宙理論に基づいて自然観測と記録、暦づくり、時刻の測定などの科学的な研究と知識から編み出されたと言われています。
お世話になった貴族たちの日記には、複数の官職を務め、朝廷内の行政に携わる官位を授かるまでに昇りつめた晴明の人間離れした伝説が残されています。
安倍晴明が残した逸話
晴明は吉凶の判断をする占術だけでなく、占いの結果に対処するための儀礼や祭祀の執行を行うことができ、恨みや不安が大きい平安貴族たちの精神内科医のような役割を果たして活躍しました。
目に見えぬものに対しての熟練された知恵、予測的中率、実行力は、平安貴族たち日常生活の安心の源となり、スーパーマンのような存在でした。
帝の原因不明の頭痛の正体
17歳の花山天皇は、雨の日になると激しい頭痛に襲われていました。梅雨ともなれば激しい頭痛が何日も続き、漢方、冷水、僧侶による祈祷などを試みましたが、どんな治療を施しても効果がありません。苦しみに耐えられず、花山天皇は晴明を呼び出しました。
晴明は天皇をみると「帝の前世の御姿は吉野の尊き修験者です。その時のドクロは、今も岩の間に挟まれています。雨が降ると水を吸った岩が膨張し、挟まれたドクロが圧迫され痛むのです。すぐに手下を派遣して取り出して下さい。」
こうして早速使用人を派遣すると、清明の言うとおり岩の間に頭蓋骨が挟まっていました。それを取り出したとたん、頭痛はピタリと止んだのです。
藤原道長への呪いの話
平安時代、最も栄華を極めたことで有名な藤原道長。権力者ほど人の恨みや妬みをかうことが多いことから、道長も例外ではありませんでした。
ある時、道長がいつものように白い犬を連れて新しく建設した寺に参る時、犬が門の前で立ちふさがるように激しく吠えたのです。
無理に進もうとすると、犬は衣の裾を加えて止めるのでさすがに道長も不審に思い、晴明を呼びつけます。すると清明は「この道に呪いがかかったものが埋められています」と言います。
掘り起こしてみると、跨ぐと命を落とす呪いがかかった壷が出てきたのです。驚きを隠せない道長。すると晴明はおもむろに紙で鳥を織り、放り投げるとシラサギに変化し飛んで行きました。
その先には晴明のライバル道満がいました。道満は道長のライバルに頼まれ、呪いをかけたのだと薄情したというお話です。
葛之葉子別れ伝説
安倍晴明神社の中には安倍清明像、葛之葉霊狐の飛来像、鎮石(しずみいし、もしくは孕み石)、泰名稲荷神社、安倍晴明生誕の碑、産湯の井戸があります。
寄り添うように境内に鎮座するこれらの石碑は、安倍晴明親子の物語が詰まっています。
安倍晴明の母親は「葛之葉(くずのは)」という名の神の使いである白狐といわれています。
人形浄瑠璃や歌舞伎にもなった悲話「葛之葉姫物語」
今から千年ほど昔、阿倍野に安倍保名(あべのやすな)という男がいました。
安名の父の代までは豪族でしたが、力をなくしていたため、和泉国(現在の大阪府和泉市)の信太明神に一族の再建を祈願しに参拝した帰りのことです。
信太森で狩人たちに追われ、傷ついた白狐が助けを求めて保名の前に現れました。保名は白狐を隠して追ってきた乱暴な狩人達の前に立ちはだかります。乱闘の末に狩人たちは去っていきましたが、保名は大けがをしてしまいました。
数日後、療養のため床に伏す保名の元に一人の女性が訪ねてきました。葛之葉と名乗る女性はそれから毎日のように保名の元に看病をしに通うのでした。
やがて、毎日顔を合わせる二人は惹かれ合い、結婚して今の安倍晴明神社がある付近に住み始めました。
そして921年(阿倍野に伝わる説では944年)、辰の日、辰の刻に男の子供が生まれ、名を童子丸と名づけました。この子どもが、後の安倍晴明になるのです。
産湯に使われた井戸の跡は、再現され今も同じ場所に佇んでいます。
童子丸が5歳になった時のことです。童子丸に添い寝していた葛之葉は、疲れから神通力が溶けて一部が白狐の姿に戻ってしまいました。
声を上げて驚く童子丸と、悲しい表情の葛之葉。正体を知られた化け狐は、その土地から立ち去らなければならない掟があります。
葛之葉は、夫の保名と子の童子丸に向けて、障子に和歌を書き残し立ち去ります。
-恋しくば
訪ね来てみよ
和泉なる
信太森のうらみ葛葉-
妻と母が居なくなった保名と童子丸は悲しみ暮れ、信太森へ行く事を決意しました。
葛の葉が生い茂るこの場所は、葉と葉がぶつかり、裏が見える程です。(うらみ=裏見を意味しています)
二人は葛之葉を探し呼びかけていると、池の側に白狐が現れました。水面に映る白虎の姿は、葛之葉の姿をしています。夫と子どもにせがまれ、人間の姿になった葛之葉に二人は駆け寄ります。
再開を喜ぶ親子。これからも一緒に暮らして行きたいと思う気持ちはありますが、正体が判った以上、掟をやぶることはできません。
葛之葉は童子丸の成長を願い、形見に「知恵の玉」という水晶玉を授けました。
成長した童子は京都に移り、学問を好み、物事の道理に通じた考えを持ち、天文学から占いや知的なアドバイスをすることで天皇や貴族たちの助けとなり、名を安倍晴明と名乗るようになりました。
境内には入り口の鳥居の側に「泰名稲荷神社」があり、晴明の父である保名を祀っています。
ご利益・御守
1007年に創建された安倍晴明神社の主祭神は安倍晴明大神です。熊野大社の末社とされており、今でも参拝にくる人たちが絶えません。
ご利益はやはり学問技芸の上達。そして火事などから護る火難病何除災、方除け、安産などで信仰されています。
お守りも数多くあり、目的ごとに授かることができます。
安倍晴明神社の御守一例
安倍晴明のシンボルともいう五芒星のお守りは、数多くあります。
安倍晴明神社除災神札(1,000円)
方位、災い除けの祈願を修した、神棚用の5寸神札です。神棚がなくても人や人形の目線より高いところにお祭りできます。
安産守
晴明が産湯を使ったとされる井戸にちなんだ安産祈願の御守です。桃色が優しい印象のデザインの御守です。
五芒星入りストラップ御守 (800円)
水晶に安倍晴明のシンボルされる五芒星が彫りこまれているストラップ状の御守です。緑色、ピンク色の2種類があります。
丸形水晶五芒星ペンダント(3,500円)
丸形の水晶に五芒星が彫られてあるペンダント状の御守です。首紐の部分は長さ60cmの鎖ですが、直接肌につけると錆びる原因になるため、衣服の上からつけることが勧められています。
水晶ブレスレットM・L(Mは4,500円、Lは5,000円)
水晶玉、紅水晶、紫水晶に小勾玉が加えられた魔除けブレスレットです。紐はゴムを通してあり、サイズの融通が効きます。桐の箱に入れられており、高級感が漂います。
Mサイズは長さ約20cm、Lサイズは長さ約21cm、水晶玉は共通で約8㎜です。
葛の葉きつねおみくじ
おみくじはお札状の物もありますが、「葛の葉きつねおみくじ」が人気です。
水晶を抱いた白狐の置物状のおみくじで、底面から取り出します。置物は引いた後に持ち帰り、自宅に飾ることができるため、参拝記念としても人気があります。丸みのあるシルエットが大変可愛らしい造りです。
安倍晴明神社境内の占いコーナー
安倍晴明神社の境内には、社務所と併設で占いコーナーが設けられています。
占いの相談時間は、午後から1時〜午後4時30分の受付です。
占い師はほぼ日替わりで複数人在籍しています。
相談の初穂料は1件につき2000円程度で、占い師によって異なります。相性占いや家族間の占い相談は1名につき各1件とのこと。
四柱推命、五行易、気学、風水、タロットカード、情報推命学、手相、西洋占星術、九星気学などで占ってもらえます。
安倍晴明神社へのアクセス
現代では珍しい路面電車でレトロに行こう
安倍晴明神社へのアクセスは、大阪の南部の玄関口とも言われている「天王寺」駅から路面電車「阪堺電軌上町線」の「東天下茶屋」駅から行くことができます。
通称「チン電」。阪堺電車は現代では珍しい路面電車(チンチン電車)を使用します。
天王寺駅から阪堺電車(チン電)乗り場へのルート
JR線、地下鉄御堂筋線、谷町線から阪堺電車「天王寺駅前」への乗り換えは、地下からのアクセスが便利です。
JR線の天王寺駅の中央出口を出て左に進んだところに地下・地上に向かう通路があります。
付近には551や立ち食い蕎麦、日本旅行、天王寺MIOなどの窓口もあり人通りの多い場所です。
この通路の階段を下れば地下鉄、登れば大きな歩道橋につながり、どちらを選んでも阪堺電車の乗り場に向かうことができます。
地下から向かう場合
地下鉄に向かう階段(エスカレーター)を降りていくと、あべのハルカスと地下鉄御堂筋線の天王寺駅の改札があるところに着きます。
この道を右折すると、「ekimo tennouji](エキモ天王寺)」が見えます。赤い看板が目印です。
エキモの中をまっすぐ進むと、左手にパン屋が見えてきます。
パン屋さんを過ぎ、左側に阪堺線の乗り場の看板が見えます。小さな通路なので見落とさないように注意しましょう。
通路の奥の階段を登ると、阪堺電車の「天王寺駅前」駅の乗り場に到着します。
地上から向かう場合
JR天王寺駅の中央出口を出て左に進むと、右手側、立ち食い蕎麦の前に階段が見えてきます。
この階段は大きな歩道橋になっており阪堺電車の他にも、あべのキューズモールやあべのハルカス、天王寺動物園、天王寺公園(てんしば)といった様々な天王寺スポットに繋がるメインストリートとも言える場所です。
歩道橋にも阪堺電車の看板が出ており、階段を降りてすぐの場所に乗り場があるのでわかりやすいですよ。
阪堺電車「チン電」の運賃支払い
阪堺電車には切符売り場がないため、改札はそのまま入ることができます。
駅内に改札がないため、運賃の支払いは電車内で行います。ICカードの利用が可能で、乗車時と下車時にタッチをすることで支払いが行われます。
阪堺電車は料金が一律210円で、現金とICカードの支払いが可能です。
1両編成のレトロな車両に乗り、大阪の南エリアの街並みを見つめながら、清明神社のある「東天下茶屋」駅に向かいます。
駅に着いたら、踏切を渡らずに進んだところに参道への案内の看板があります。表示通りに進むと安倍晴明神社に着きます。
天才陰陽師、安倍晴明のルーツはささやかなものだった
陰陽師ブームで一躍有名になった安倍晴明ですが、全国の安倍晴明ゆかりの地とされている場所は、どれも規模は大きなものではありません。
京都の堀川にある清明神社も全体が見渡せる程の規模です。
陰陽師としての安倍晴明は、長い歴史の中で人々の思いや期待を抱え、伝説として語り継がれてきました。
安倍晴明生誕の地は、江戸時代までは大社とされていましたが、長い歴史の中をくぐり抜け、現代では175坪程しか残っていません。
しかし、 安倍晴明の親子の仲睦まじい温もりが感じられる空間です。
異界との境界に立っているともいえる天才安倍晴明も、一人の人間だったのだと感じられる空間でした。