大阪市四天王寺は、古くから神社仏閣が多く立ち並ぶ神聖なスポットです。
四天王寺の一つ、「愛染堂勝鬘院」の境内には本堂と多宝塔があり、本堂は大阪府の指定文化財、豊臣秀吉によって建てられた多宝塔は国の重要文化財に指定されています。
残念ながら多宝塔は2019年の秋時点では補強工事のためシートに覆われて見ることができませんが、本来は愛染堂の後ろに立派な塔が立ち、夕日が昇って移されたシルエットは絶景です。
夕日が美しい地であることから、愛染堂がある場所は「夕陽ヶ丘」と呼ばれており、日が傾くタイミングでロマンチックな情景を見に来る人もいる程です。
本尊は愛を結びつける「愛染明王」が祀られ、夫婦和合、良縁成就にご利益があり、縁結びは「最強」と言われる恋愛パワースポットです。
また、「染」という文字から染物やアパレル事業者も祈願に訪れており、幅広い分野で人々から必要とされていることがわかります。
大阪メトロ谷町線、「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅の5番出口から徒歩3分ほどの場所に鎮座する愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)をご紹介します。
愛のスポットで恋愛成就、夫婦和合で愛を深める
愛染堂勝鬘院には恋愛映画のモデルにもなるほど、愛を紡ぎたいと願う人のための参拝スポットが存在します。
住職の話によると、参拝したり御守を持っておくだけでもそのパワーを実感したという声をよく聞くとのことです。
出会い、恋愛成就、夫婦和合…愛の願いを成就する愛染堂勝鬘院のパワースポットは複数存在します。
二人いつまでも…寄り添う夫婦の姿「愛染かつらの木」
愛染堂の二つ目の門「薬医門」をくぐって、右に曲がったところにあるのが「愛染かつらの木」です。
桂の木は樹齢数百年に及ぶ霊験あらたかなものですが、そこにノウゼンカズラのツルが巻きつき、2つの植物が寄り添い合う男女の姿に例えられます。
実は霊木そのものは既に枯死しまっていますが、それでも尚寄り添うノウゼンカヅラは旦那が亡くなっても浮気せずに寄り添う妻の姿に例えられています。
愛染かつらの前で愛を語り合ったカップルや夫婦は、寄り添い合い支え合うことでどんな困難も乗り越えていけると言われ、パートナーとの末永い付き合いを祈願するために世代を問わず参拝に訪れる人が絶えません。
春から夏にかけて、木に巻きつくノウセンカズラはピンク系オレンジの柔らかで鮮やかな色の花が満開になり、6月末に行われる「愛染祭り」の時期には華やかな風景になります。
ちょっと恥ずかしいかもしれませんが、夫婦やカップルが訪れる際は、お互いの気持ちを伝えて仲を深めるよい機会になりますね。
愛念を叶える「愛染の霊水」
愛染さんの恋愛成就のご利益で最も実感の声が上がるのが「愛染の霊水」です。
一見は神社でもよく見られる手水舎ですが、ここから湧き上がる水は霊験あらたかな為「霊水」とされています。
愛染の霊水は飲むことで愛染明王のご本誓により願いが叶うだけでなく、病気などの症状も癒え、夫婦和合、出産から出世といった幅広い開運のご利益があるそうです。
SNSでもこの水を飲んで良縁を祈願したところ、好きな人との交際が叶ったという経験をした人もいました。
片思いや良縁以外にも、家族や自分の健康を祈願するために、水を頂くのもよいでしょう。
水を体内に取り入れながら念じることで、澱んだ気持ちが鮮明になるイメージといったところでしょうか。
愛染の霊水は軟水。勢いはありませんが、さらさらとこみ上げています。
腰痛封じの石
愛染堂勝鬘院の境内にある「腰痛封じの石」は、名の通り腰痛に関するパワースポットとして密かな人気があります。座ると腰痛を癒すというご利益があるとのこと。
腰を下ろす椅子上になった石の上に座ると、絶妙な位置にでっぱりがあります。
そこに背筋を伸ばして深く座り、でっぱりの部分に自分の腰のツボを当てて座るとよいとされています。
人にもよりますが筆者が座ったところ、低めの位置で仙骨にあたる高さでした。指よりもハードな圧が欲しい方は気持ちよさを感じるかもしれません。
デスクワークが多くなっている昨今、この椅子の説明を目にした後は皆腰を下ろして一息着く様子が見られました。
哲学の椅子
腰痛封じの椅子の向かいにある木の下に鎮座しているのが「哲学の椅子」です。
人生そのものや、考え方、世界のあり方などを理性によって考える「哲学」。宗教もその思想から生み出されたものとされ、仏教もその一つです。
正しい心で人生を歩んでいくための考え方とされ、穏やかな精神力は恨みや憎しみを消して、素直でまっすぐな考え方を生み出すためにも平穏な環境があれば尚よいでしょう。
哲学の椅子は平たい座面で安定感があり、落ち着いて境内の植物や鳥、虫などを見渡しながら観察や思索、アイデアなどをめぐらせて気づきや発明を促すスポットと言われています。
訪れた理由は何なのか、心願やこれからのことを考えたい時に哲学の椅子に腰を掛け、じっくり考えるとひらめきが生まれるかもしれませんね。
大阪の祭りで最初に行われる「愛染祭」
「愛染祭り」は大阪三大祭りの一つ。愛染明王のご開帳も!
愛染堂勝鬘院では、初夏に祭りが行われています。
大阪の三大祭は愛染祭、天神祭、住吉祭の3つの規模が大きいことから開催の順番を「愛住みません(愛染さんで始まり、住吉さんで終わる)」と覚える言葉が生まれ、どれも規模が大きく知名度も高い祭りです。
6月30日という夏真っ盛りを待たずして始まる愛染祭りの実施時期には理由があります。
昔は必ずと言っていいほど初夏に疫病が蔓延し、その原因は厄や鬼、祟りといった「目には見えないもの」でした。病に倒れず夏を乗り切るために、人々は初夏に厄除けを祈願するべく祭を行うことにしたのです。
愛染祭りは江戸時代には既に存在したといわれ、近松門左衛門や井原西鶴といった人形浄瑠璃の作品にも登場するほど、昔から賑わいをみせていたということがわかります。
多くの人が救いを与えるとされる愛染明王に健康や厄払いを祈願し、その文化は現代にも引き継がれています。
愛染祭りの「愛染娘」を中心とした催しの数々
愛染祭りが大阪三大祭りといわれるその規模は、3日でのべ15万~20万人の人が愛染堂に訪れます。
2017年までは、数々のオーディションを潜り抜けてきた「愛染娘」とよばれる若い女性たちが中心となり、祭りのPRや催しを行ってきました。
愛染娘を中心とした催しでは、芸妓達が次々とかごに乗って参詣した風景を基に愛染娘をかごにのせて練り歩く「宝恵かごパレード」や、浴衣を着て訪れた参拝者に手を握ってブレスレットを巻く「ラブブレス」などが注目を集めました。
ミス愛染娘を決定するためのコンテストでは、エントリーした若い女性が舞台の上で書道やチアダンス、手品などでアピールし、愛嬌を競い合うコンテストなども実施され盛り上がりを見せていました。
しかし、このような若い女性が中心となるイベントで賑わいを見せる反面、深刻な問題が発生し収縮を余儀なく選択することになったのです。
愛染堂が危惧した問題
愛染祭りは露店も300点が出店するなど大規模で、大賑わいになります
愛染娘などの女性との交流も相なり、高揚した若者たちは「この日だけは羽目を外すのも許されるだろう」と言わんばかりにバイクから轟音を放ちながら叫び、愛染堂周辺を走り回りました。
数々の問題は神聖な場所で行われる行為とはかけ離れたことから、愛染堂勝鬘院は愛染祭りの意味を今一度考えるべく、パレードやブレスレットの配布サービスなどの女性が中心となった催しの縮小を余儀なくされました。
縮小し愛染堂の祭りはやっぱり御開帳にあり
愛染祭りでは「三大祭り」と呼ばれているほど賑わいを見せて、多くの人が訪れることで知れ渡りましたが、日本が誇る蜜仏のご開帳の事を知らない人も多く、浴衣を着て露天を楽しむだけの人が押し寄せていました。
規模の縮小は、例年通りの催しを楽しみにしていた人にとっては、少し寂しいと感じるかもしれませんが、大阪三大祭りの一つである愛染祭りが方向性を見直した意味は、これからも歴史ある四天王寺の文化をさらに魅力的にしてくれることでしょう。
1年に2度しかないご開帳、そもそも愛染明王とはどんな神なの?
密仏本尊である愛染明王・大日大勝金剛尊は、先にも記載したように年始と愛染祭りの年に2度しか機会がありません。
勝鬘院では愛染祭りの本際である7月1日に、ご本尊である愛染明王が特別にご開帳をされます。
さて、愛染明王がどんな姿をしているかというと、全身は燃えるように赤く、心の中まで見透かさんとする3つの目、獅子の冠をかぶり、そして人の煩悩や歪んだ心を引きちぎらんばかりの6本の腕を持ち、蓮の花の上に鎮座しています。
明王は複数いますが、どの明王も忿怒の形相で突き刺さるような眼光を持ち、背中には炎が燃えたぎり、手には武器を握っています。これは、人間の煩悩をやっつけるためです。
愛染明王が持っている弓は「知恵の弓」と「方便の矢」です。これは、人々が欲に支配されず正しい道を歩み、幸運を授けるというものです。
「愛染明王十二大願」によれば、愛染明王の人々への温かな願いがこめられていることがわかります。
愛の神、愛染明王十二大願とは
1.「智慧の弓」と「方便の矢」によって、衆生に愛と敬愛の心を気づかせて幸運を与える
2.人間の「三毒」といわれている『貪り』・『怒り』・『愚かさ』を焼き切って心を浄化し、おだやかな菩提心を持たせる
3.邪心や横柄、自分勝手な心から離し、仏教の真理である「正見」に導く
4.争いごとをせず、落ち着いて暮らせるように導く
5.病苦や天災などの苦難を取り除き、信心する人には天寿を全うさせる
6.貧困、飢餓による飢えの苦しみを取り除いて、いつまでも続く幸福を与える
7.鬼神・邪神などの悪魔による厄を払い、苦痛から解放して安楽な暮らしをもたらす
8.信心する人の家の子孫繁栄、家運の上昇を守り幸せの縁をもたらす
9.前世の悪行を浄化して信心すれば死後は極楽に往生できる
10.女性に善い縁を結び、善根となる子供を授ける
11.女性が出産する際にはその苦しみを和らげ、生まれてくる子供のために願うことで子供は福徳を得て愛嬌の良い子に育つ
女性たちが愛染明王に引かれる理由
愛染明王十二大願では「人への思いやり」が見受けられます。特に女性の出産などの点では、生まれてくる子供に対する愛情を挙げていますね。
昔は今ほど妊娠・出産に関する医療や環境が発達していなかったために、その苦しみや困難から逃れるのは神頼みだけでした。このことから愛染明王を信心する人に女性が多いのも頷けます。
また、女性は社会的地位が低く、心身共に傷ついた女性たちが、愛染堂に飛び込んでくることも多くあったようです。
妊娠や出産の苦しみの中でも夫婦でお互いを思いやり、幸せな家庭を作っていくことは現代でも望んでいる人は多いでしょう。
そして、飢餓が蔓延していた古来日本では、苦しみから横柄な邪心により心の穏さを見失う人が多くいました。
愛染明王は自分勝手な欲によって奪い取る幸福ではなく、安穏な気持ちで過ごしたい人の心の拠り所であったことがわかります。
愛染堂勝鬘院、約1400年間の歴史
愛染堂は約1400年前、聖徳太子によって建てられました。
時代は飛鳥時代。推古天皇が即位したその年に、代わりに政治をおこなう摂政を務めたのが聖徳太子です。
聖徳太子は天皇に対して力を見せつけんとする豪族たちを束ね上げ、冠位十二階を作り、家柄などではなく個人の能力を判断・評価して政治に適した人材配置を行うことのできるスペシャリストでした。
聖徳太子という名前は後から呼ばれたという説もありますが、名前に込められている意味は「高い徳を持った王子」ということになります。
多くの人のためになることを考えていた聖徳太子は、四天王寺と呼ばれる四つの寺「敬田院」、「施薬院」、「療病院」、「悲田院」を建立しました。
愛染堂は日本初の社会福祉の場
愛染堂の本来の姿は、苦しみを癒す施薬院
四天王寺の一つ「施薬院(せやくいん)」は現在の『勝鬘院愛染堂』、愛染明王が奉納されているお堂に位置したと言います。
四天王寺は仏教の教えを学ぶ教育の場でもあり、困窮した人々の飢えの苦しみを癒す場になりました。
後に勝鬘院となる施薬院では病に苦しむ人のためにあらゆる薬草を栽培して薬を作り、投薬を施す医療の場でもありました。
民衆の苦しみを受け止める施薬院は、日本で最初の社会福祉発祥の地ともいわれています。
最後に…愛染堂を訪れるに当たって
人との繋がりは「ご縁」から始まることで、より良い巡り合わせを祈願して縁結び祈願に訪れる人は多いと思います。人を愛するということは、相手をも受け止めたいと思うことから始まるのではないでしょうか。
寄り添い合って末永く佇む愛染かつらのようなカップルは、愛を叶えたいと願う人にとっては魅力的に移るでしょう。
昨今ではカップルは男女ペアだけでなく、たくさんのスタイルがあることも浸透してきました。愛染堂は相手を心から愛し、心寄り添う全ての人を受け入れるように静かに佇んでいました。