ユニバーサルスタジオジャパンで馴染みのある大阪市此花区の伝法町は、かつての天下人や知識人、渡来人も行き交うなど、人々にとっての要衝の地でした。
鴉宮(からすのみや)の周辺一面は深い森と水上でしたが、大阪、京都、奈良への玄関口に位置するため、朝鮮半島や琉球などの使節船の行き来が盛んで、平安時代以前は鎮守の社として土地そのものが神聖なものだとされていました。
伝法は元々「傳法(でんぽう)」と呼ばれており、「仏教が伝わった始めの場所」という意味合いがあります。
拝殿前には『光輝八紘 瑞烏導師』(かがやかしく、みちびきたり)と仏教伝来の喜びの言葉が刻まれています。
鴉宮は本殿、拝殿、奥にある透塀は登録有形文化財に登録されるなど、大阪の歴史としても重要なスポットです。
下町の雰囲気が残り、淀川に隣接する阪神なんば線「伝法」駅から徒歩約5分。
仏教伝来と共に出現した八咫烏(やたがらす)の伝承が残る鴉宮(からすのみや)に行ってみました。
鴉宮の御由緒やご利益、御朱印など、詳しくレポしていきます!
鴉宮の神使霊烏「八咫烏(やたがらす)」の伝説
三本足の鴉は「八咫烏(やたがらす)」と呼ばれ、日本神話において案内の役割を果たしたことで導きの神として信仰されています。
普通の鴉とは違い、三本の足を持つ伝説上の大鴉で、「ヤタ」とは長さや大きさを指す言葉です。
八咫烏はその全長が「とても大きな鴉」という意味になります。
八咫烏は人を導く霊烏とされることから、勝利に導く日本のサッカー代表チームのシンボルや、陸上自衛隊中央情報隊のロゴマークにも起用されています。
世界中で人を導く八咫烏の伝承
八咫烏の活躍は日本に留まらず、世界中でも古くから伝説が残されています。
世界中で古来より残される3本足の鴉の伝説
太陽の女神「天照大御神」の使いということで、太陽の象徴とされている八咫烏ですが、朝鮮やエジプト、中国でも三足烏が描かれた壁画などが残されています。
また、ギリシャ神話の太陽神アポロンの使いは鴉であるとされ、その鴉も3本足だったといわれています。
アレキサンダー大王もカラスに導かれていた
紀元前4世紀、エジプトを征服したといわれているアレキサンダー大王は、エジプトファラオとして認められるため、オアシスにある神殿に向かいました。
神殿に向かうには、砂漠を渡っていかなければなりません。砂漠を歩く中、砂嵐がアレキサンダーを襲い、方角がわからなくなってしまいました。
その時、一羽の鴉が現れ、その鴉の後を追っていくとオアシスに辿り着いたという話が残されています。
日本では「神武東征」で活躍した神の使い
八咫烏は日本神話の中でも、重要な役割を果たしています。
八咫烏が登場する最も有名な日本神話では、日本の初代天皇とされる神武天皇(じんむてんのう)が数十年をかけて東へ険しい旅に向かった「神武東征」です。
日向国(大分県)で生まれた神武天皇は、先祖である天照大御神の意向で日本の国の様子を見るために、大和国を目指し兄や子供、家来を集めて大和国(奈良県)に遠征することになりました。
日向国から宇佐(大分北部)、安芸国(広島県)、吉備国(岡山県)、難波国(大阪府北中部)、河内国(大阪府南西部)、紀伊国(和歌山県)を経て向かう旅は、決して容易いものではありませんでした。
道のりは各所に数年ずつ年滞在しながら東へ向かいましたが、途中の戦や海難で兄3人が亡くなります。
難波国から大和国へ向かう途中、戦で負傷し命を落とした神武天皇の兄は、「天照大御神の子孫である私たちは太陽に向かって戦うのではなく、太陽を背につけ戦うべきだ」と残しました。
こうして神武天皇たちは大和国を目指すために、和歌山県を回り道して進むことにしましたが、熊野の神の化身の巨大な熊との戦いや、険しい山を超えるうち、深い森で道に迷ってしまいました。
ある時、疲れ果てた神武天皇の夢に天照大御神が現れ、こう言いました。
「天から使いとして八咫烏を差し向けます。この八咫烏が飛んでいく方向に進みなさい」
お告げ通りに現れた八咫烏は、神武天皇たちの先を進んでいきます。八咫烏を追ったおかげで大和国まで迷うことなく進むことができ、戦にも勝利したといいます。
吉野を経て橿原に行きついた神武天皇は畝傍橿原宮の跡地に建てられたのが現在の橿原神宮です。
橿原神宮の絵馬やお守りにも八咫烏のシンボルマークが使われています。
日本の八咫烏の伝説では神武東征が有名ですが、熊野群那智大社、山形出羽天山神祓、京都下川神社などにも八咫烏のエピソードが残されており、日本各地で神聖な霊鳥として崇められています。
航海の安全守護を告げた八咫烏
伝法町のある此花区で残されている最も古い伝記は、鴉宮にまつわるものです。
鎌倉時代の前期にあたる1215年、伝法の地の開拓が始まりました。港町であった伝法には人が住み始め村ができ、栄え始めた頃です。
人と物の流通による全国の繁栄を願い神事が行われ、伝法の地に傳母頭(もりす)神社が建立されました。
その後、1592年(文禄元年)には豊臣秀吉が瀬戸内海を抜け、日本海各地に視察に行くことになりました。
渡航のための海路の安全、厄除け、無病息災などあらゆる祈願を行わなければなりません。
長い祈祷時間の途中、宮内に現れたのが3本足の大きな鴉、八咫烏です。
八咫烏は驚く人々を前に、渡航の安全を守護するということを告げます。
翌日、そのことが豊臣秀吉の耳に届くと、「吉兆だ」と大喜びしたそうです。
秀吉は傳母頭(もりす)神社の神主を水先奉行に任命しました。そうして、出発の際にお告げ通りに八咫烏が現れたのです。
八咫烏が導くままに航路を旅する一派は、翌年正月に望み通り大きな厄災なく帰国できたのです。
航海から無事に帰還した豊臣秀吉は、航海安全の御利益を得たことから、八咫烏を傳母頭(もりす)神社に祀り、名前も「鴉宮(からすのみや)」と改めました。
傳母頭の名前は、鴉宮のすぐ側に掛かる橋「森巣橋」として名前が残されています。
鴉宮の御利益と御祭神
御利益は漁師や釣り人、子育てをする人にも
鴉宮周辺は水路の要衝であったことから、主に水にまつわる神が祀られその御利益があるといわれています。
鴉宮の御利益
- 心願成就
- 航海安全
- 水難守護
- 豊漁祈願
- 安産祈願
- 子育大願
- 商売繁盛
拝殿の前には船旅を想起させる立派な船主があり、訪れる人に水の都を印象付ける存在になっています。
主祭神の御神体は木の彫刻、その姿は「童子」
◇天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
鴉宮の御祭神、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)は別名『天照大御神(あまてらすおおみかみ)』とも呼ばれることがあります。
天照皇大神は日本神話の上でも主として登場する太陽の女神とされるだけでなく、機織り、農業神などにご利益をもたらす神とされています。
鴉宮での天照皇大神は普段は公開されていませんが、御神体の姿として『雨宝童子』の木彫神像が祀られています。
雨宝童子は天照皇大神が現世の地(日向国)に降り立った時の姿といわれています。
その姿は右手には如意宝棒を握り、悪霊を退散し、財宝を授けるものとされており、安全祈願や縁起の良い御利益をもたらします。
また、左手には宝珠を持ち、頭には地・水・火・風・空を示す密教の五輪塔を乗せており、霊的な力を感じさせています。
子供の姿であるのは、子供のあどけなさや未熟さではなく、大人にはない清らかな力を持つとされているからです。
◇水の神、住吉大神(住吉三神)
住吉大神は住吉三神の総称です。
国生みを行ったイザナギノミコトが、死んだ妻(イザナミノミコト)を追って黄泉の国に行くも、約束を破ったころから襲われ、命からがら逃げ帰った際、身の穢れを落とすために海に入って禊(みそぎ)を行ったことから生まれたといわれています。
穢れは「気が枯れる=疲れる=死に近づく」という意味合いがあり、病気や災いを引き寄せると考えられていました。
流し落とされた穢れは、水の神「住吉大神」として現れました。
◇底筒男命(ソコツツノオノミコト)
◇中筒之男命(ナカツツノオノミコト)
◇上筒之男命(ウワツツノオノミコト)
「底筒男命」は海底、「中筒之男命」は海中、「上筒之男命」は海上というように住吉三神の名前はイザナギノミコトが禊を行った場所に由来しています。
住吉三神の名前につく「筒」は星を意味しており、冬の空に現れるオリオン座のベルトにあたる横三つが住吉三神とされています。
星を読みながら船を進める船社会の伝法町が海・水の神、住吉大神を祀っているのも頷けます。
◇恵比寿大神(蛭子大神)
恵比寿大神は、福の神「七福神」の一人とされ、『えべっさん』、『えびっさん』などの名前で呼称されています。
ふくよかな体格に、笹と釣り竿を持ち、大きな鯛を抱えていることから、釣りの神、商売繁盛の神とされています。
イザナギノミコトとイザナミノミコトの子で蛭子命(ヒルコノミコト)、または大国主命の子で事代主神(コトシロヌシノカミ)とされることがあります。
港町の商売繁盛の神として、淀川や大阪港で漁業や釣りをする多くの人が参拝に訪れます。
◇恵比寿大神(蛭子大神)
市杵島比売大神(イチキシマヒメ)は、日本神話に登場する水の女神です。
天照皇大神(アマテラススメオオカミ)が弟のスサノオノミコトの剣を噛んで吹き、その霧から生まれたとされています。
「イチキ」とは「斎き」を表し、心身の穢れを取り払い、神霊を祀るという意味があります。
天照皇大神の子を立派に育てたことから、子育て・子守り・児童守護の神ともいわれています。
◇神功皇后(じんぐうこうごう)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)とも呼ばれることがある、女性の天皇です。
神功皇后は夫の仲哀天皇が九州の反乱を制圧すべく向かおうとしましたが、「向かうべきは九州でなく朝鮮半島にせよ」と神からお告げを聞いたとされています。
お告げに従わず九州に向かった夫の仲哀天皇は途中で崩御しますが、その後に神功皇后は朝鮮半島に渡り新羅、高句麗、百済を治めました。これを三韓征伐といいます。
三韓征伐を行う際に神功皇后にお告げをした神が、鴉宮に祀られている「天照皇大神」、「住吉三神」、「事代主神」が含まれていたと言われています。
鴉の宮の摂社・末社
鴉宮の境内奥には摂社が立ち並んでいます。
摂社には複数の神が祀られています。
稲荷神社「宇賀魂大神」
宇賀魂大神(ウカノミタマオオカミ)は、日本神話に登場する稲荷神です。
ウカは穀物や食べ物を表し、「稲に宿る神秘の霊」という意味合いがあります。日本人の主食「お米」の収穫や、食べていくことの御利益をもたらす神とされています。
船玉神社「船玉大神」
船玉大神は、船舶を護る船の神のことです。漁業などの船に乗る者の安全や「乗り切る」ことで勝利の意味合いで御利益があるとされています。
船玉大神にまつわる話では、遠い昔、『玉滝』という滝つぼで神が水を浴びていると、大雨になりました。
すると、滝つぼに浮いていた一匹のクモが、溢れる水に溺れそうになりました。それを見つけた神は、クモに榊(さかき)の葉を与えました。
クモは葉に乗り、足で船をこぐように進み、陸に辿り着いたという話があります。
鴉宮では御神木として榊が植えられています。(木へんに神と書いてサカキと読まれます)
猿田彦神社「猿田彦大神」
猿田彦大神は天照皇大神の使い(ニニギノミコト)が降り立った際、道案内をしたといいます。
八咫烏と猿田彦神は同じように神の使いで道案内をしたことから、同一神と考えられることもあります。
鴉宮の御朱印
鴉宮の御朱印は本宮と摂社のものがあり、別地名などが全4種で書かれるものが違います。
背景には全て八咫烏の印が押されているデザインです。
鴉見の御朱印 4種類(300円)
- 奉拝 神使八咫烏 本殿 鴉宮
- 奉拝 本宮鴉宮 御旅所 酉島宮
- 奉拝 神使八咫烏 本宮鴉宮鴉宮 咲くやこの花ゑびす
- 奉拝 神使八咫烏 鴉宮稲荷社
御朱印は鳥居をくぐってすぐの場所にある社務所でいただけます。
社務所に宮司の方が居る場合は書いていただく事も可能ですが、書き置きタイプのものがあります。
書き置きタイプは社務所の窓口前の箱にお金を入れ、希望する種類の御朱印をいただきます。
日付は空欄になっているため、自身で参拝日を書き込むとよいですね。
鴉宮で授かるお守り
20種類ものお守りとお札
鴉宮には金運守り、安産守り、ペットの守り、足腰健康ぞうり守りなど、多種多様のお守やお札が揃っています。
今回は特に人気の者をピックアップしました。
◇日本サッカー協会公認 健康勝守(1,000円)
八咫烏は日本サッカーチームのシンボルにも起用されていることから、健康守りには日本チームのロゴマークの刺繍がされています。
サッカーを愛する大人から子供まで人気のあるお守りです。
◇やたがらす携帯ストラップ守(1,000円)
八咫烏のストラップが付いたお守りで、外出が多い人へのプレゼントにも選ばれます。
◇八咫烏おみくじ(800円)
人形タイプのおみくじです。鴉をかたどった可愛らしい人形の中におみくじが入っています。
持ち帰り部屋や車の中などに飾ることができます。
「やたがらす」の他にも「招きねこ」のおみくじがあり、えと土鈴も可愛い動物の人形が起用されています。
◇やたがらす宝印 大祓修符札(災厄悪何難省消除)(2,000円)
霊烏「八咫烏」が描かれた開運導き・厄災悪難除けの赤いお札です。
お札は他にも水の神である「龍神」や「白蛇」が描かれた水神守護の札などがあります。
鴉宮へのアクセス
神社名:鴉宮
住所:554-0002 大阪府大阪市此花区伝法2-10-18
最寄駅:
阪神なんば線「伝法駅」から330m(徒歩5分)、または「千鳥橋駅」から370m(徒歩5分)
市バス「四貫島」「千鳥橋」から350m(徒歩4分)
電話:06-6461-3592