受験や恋愛の成就、出世、子宝に恵まれたいなど、「一生に一度、この願いだけは叶えてほしい」と思ったことはありませんか?
大阪市天王寺区茶臼山という地区にある堀越神社は古くから、「一生に一度のお願い」を聞き入れてくれる神社として知られています。
ここでは堀越神社はなぜ造られ、どんな神様がお祀りされているのか、また、どうすれば一生に一度のお願いが叶えられるのかなどをまとめています。
堀越神社は聖徳太子が建立した
堀越神社は四天王寺という日本で初めて建立された本格的な仏教寺院に伴い造られた神社です。
住所にもある天王寺という名前は、この四天王寺の略称といわれ、四天王寺は593年、推古天皇の時代に聖徳太子によって造られました。聖徳太子はほかに、法隆寺、広隆寺などの有名なお寺も建立しています。
有力豪族の物部氏と蘇我氏が対立していたこの時代、聖徳太子は蘇我氏側についていたのですが、「物部氏との戦に勝利したならば四天王を安置する寺を建てる」と祈願し、実際に建立したのが四天王寺です。
四天王寺には七宮(しちみや)と呼ぶ守護神社があり、堀越神社もそのひとつとして数えられます。なかでも堀越神社は四天王寺の裏鬼門に鎮座しており、鬼封じの意味合いで建てられたのではないかと推察できます。
四天王寺七宮にはほかに、大江神社、上之宮神社、小儀(おぎ)神社、久保神社、土塔(どとう)神社、河堀稲生(こぼれいなり)神社があります。
また、明治時代中期までは、境内の南にお堀があり、そのお堀を越えて参拝するということから、「堀越」という名前がついたといわれています。
堀越神社のご祭神
堀越神社のご祭神は、主祭神である崇峻(すしゅん)天皇と、配祀神である小手姫(おてひめ)皇后、蜂子(はちこ)皇子、錦代(にしきで)皇女の四柱の神様からなっています。
以下に、それぞれの神様とそのいわれをまとめました。天皇というと常人とは異なる高貴な暮らしぶりをイメージしますが、意外にもまがまがしい人生を駆け抜けたことに驚きます。
主祭神(崇峻天皇)
主祭神である崇峻天皇は、聖徳太子の叔父であり、第32代天皇です。聖徳太子はこの叔父君である崇峻天皇を偲び、風光明媚な茶臼山の地に堀越神社を創建し、ご祭神としてお祀りされました。
崇峻天皇は、蘇我氏に推されて即位した天皇にもかかわらず、蘇我氏によって暗殺されたことがわかっています。天皇であれば崩御されたのちに御陵にお祀りされるものですが、崇峻天皇のための御陵はありません。
古事記・日本書紀のなかで暗殺されて崩御した天皇はほかにおらず、悲運の崇峻天皇を偲んで造られたというところに歴史の重みを感じます。
配祀神(小手姫皇后・蜂子皇子・錦代皇女)
配祀神とは、ご本殿に主祭神と一緒にお祀りされている神様のことをいいます。堀越神社では、崇峻天皇の家族である3柱の神様が配祀神としてお祀りされています。
①小手姫皇后
小手姫皇后は崇峻天皇の后ですが、崇峻天皇からのご寵愛を感じられなくなったことを恨みがましく思い、蘇我馬子に密告を行ったと日本書紀に書かれています。
密告の内容は、崇峻天皇のもとにイノシシが献上された際にひとりごとのように言ったという、「このイノシシの首を切るように、いつか私の気にくわない人物の首を切ってやる」というもので、これを聞いた馬子によって暗殺が行われた可能性もありそうですね。
これらの言動が本当なら、崇峻天皇も小手姫皇后も、かなり激しい気性の持ち主だったのかもしれません。
②蜂子皇子
崇峻天皇のご子息であるため、父が暗殺されたのち、聖徳太子の力を借り、船を使って東北に落ち延びました。その後、八咫烏(やたがらす)とも思われる三本足のカラスに導かれ、出羽三山の山岳宗教を開いたといわれています。
山形県羽黒山の山頂には蜂子皇子の陵墓がありますが、これは東北地方にある唯一の皇族の御陵です。
③錦代皇女
崇峻天皇の娘です。兄である蜂子皇子が東北へ落ち延びたのち、母・小手姫皇后とともに後を追って東北へと逃れました。
小手姫皇后はその道中、現在の福島県川俣町に養蚕の技術を伝えたといわれています。
摂社・末社
境内には摂社・末社と呼ばれるお社がほかにもあります。
すべての神様にご挨拶の気持ちで参拝されるとご利益が得られるでしょう。参拝のときは余裕を持ったスケジュールにしておくと焦ることなくまっすぐな心で神様に向かうことができそうです。
太上神仙鎮宅七十二霊符尊神(だじょうしんせんちんたく・れいふそんしん)
「ちんたくさん」という呼び名で親しまれるこの神様は、星神様とされ、お守りやお札の始祖である中国の神様です。
前漢、孝文帝という帝の時代に、ある田舎町の視察に来られた帝は、易や風水から見るとよい相ではない家に人が多く出入りしているのを見て、その家の主人にわけを尋ねられました。すると、家の主人はこのような話をしたのです。
「30年ほど前、見慣れない2人の者が立ち寄り、空腹を訴えられたので招き入れました。やせた土地柄ですから粗末なものしかお出しできなかったのですが、ありがたがってお礼に72枚のお守りをくださり、これをお祀りしなさいというのです」
そして、そのとおりにすると家は豊かになり、子宝にも恵まれました。この2人の来訪者というのは神仙といって、修行をして神に近づいた人々を表します。
堀越神社では「ちんたくさん」の霊符を節分祭、七夕祭を中心に授与しており、家内安全、商売繁盛などを祈願しています。
「ちんたくさん」のお社のそばには落雷や火災をも乗り越えた樹齢550年の楠の御神木もあり、そちらもあわせてお参りすることをおすすめします。
家康を守った茶臼山稲荷神社
大坂夏の陣で徳川家康の危機を救ったことから、家康公に篤く信仰されたお稲荷様です。
かつては激戦区であった茶臼山の頂上にありましたが、夏の陣ののち、現在の場所に遷座されました。
お稲荷様は商売繁盛・厄除招福のご利益を得られるというので全国各地で信仰が見られます。茶臼山稲荷神社の特色は、家康公を救ったという伝説から、勝負の神様という側面もあわせもっていると考えていいでしょう。
黒龍社と白龍社
一般的に黒龍は五行の「水」にあたる北の守護をしています。水回りや健康、人間関係をお守りいただく神様ですので、心当たりのある方は黒龍社をお参りしてください。
また、白龍は五行の「金」にあたる西の守護をしています。金銭関係や食べ物などを豊かさの象徴ともいえる神様です。
また、龍神様には事業発展をお守りいただくご利益があるため、黒龍社・白龍社ともにお参りされることをおすすめします。
熊野詣は堀越神社がスタート地点
堀越神社境内には熊野第一王子之宮のお社もあります。
和歌山にある熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の熊野三山を詣でることを「熊野詣」と呼び古くから多くの人が参詣してきました。
車や電車のない時代に熊野詣をするのはある種の苦行であったため、旅人が休息をとり、熊野詣での守護祈願のために立ち寄ったのが「九十九王子」と呼ばれる神社です。
実際に99の神社へ行ったわけではなく、それほどたくさん王子社がある、ということですが、その第一番目にあたるのがこの堀越神社境内にある王子之宮になります。
王子社には熊野権現がお祀りされているため、ここから熊野詣が本格的に始まる、スタート地点となるお社だと思っていいでしょう。
事前予約必須の「ひと夢祈願」で願いを叶える
堀越神社はそれぞれのご祭神のご利益以外に、昔から「一生に一度の願いを聞いてくださる神様」といわれています。
一生に一度ですから、どんな願い事をするかは吟味しなければなりませんね。自分の力ではもうこれ以上どうにもならない!というときに、最後の神頼みとしてご祈願を受けられるといいでしょう。
ひと夢祈願の流れ
- まずは事前予約を電話または直接伺って行います。
- 当日は余裕を持って行くようにしましょう。祈祷の15分ほど前から準備が始まります。
- お守りを選びます。
- お守りの内符に願い事を書き入れます。
- 願い事を書いた内符をお守りの中に入れていただき、神前にお供えしてもらいます。
- ご祈祷が始まります。
帰りには内符を入れた世界にただひとつのお守りを授与していただくことができます。このお守りを常に身につけ、日々願意を忘れないように過ごすといいでしょう。
お願いが叶ったときにはお礼参りをするのをお忘れなく。夢の続きがさらに明るく開けていきます。
ひと夢祈願は郵送もある
距離的に遠い、時間的な余裕がないなど、堀越神社にお参りに行くことができない人のために、郵送でもひと夢祈願ができるようになっています。
堀越神社に電話で問い合わせすると、内符となる短冊状の用紙をお送りいただけます。そこに願意を記入し堀越神社に郵送すると、ご祈祷したあとでお守りを再度、郵送してくださいます。
呪いの「ひと夢」は災いを招く
神様は真実の祈りの言葉は聞いてくださいますが、呪いの言葉は聞き入れてはくださいません。
受験で合格したいということの裏には、自分の努力が実ることや、実力を全力で発揮できることへの切実な祈りがあります。
しかし、たとえば誰かを蹴落としたり、だれかを不幸にすることで自分が優位に立つことや、誰かの不利益で利益を得ようとすることは呪いとなります。
一度は優位に立ったように感じても、呪いはかならずかけた者に跳ね返ってきます。
せっかくの「ひと夢」ですから、明るい未来のため、美しい心で臨まれてください。
堀越神社のおすすめ授与品
お守りやお札など、神社でいただくことのできるものは「商品」ではなく、「授与品」と呼びます。お金と交換で買えるというよりは、信仰の対象、お参りの証として考えるといいでしょう。
そんな授与品には、お祀りされている神様が異なることなどから、神社の特色を表すものが多くあります。堀越神社へお参りするならぜひ手に取ってほしい授与品をご紹介します。
こけざるの梅お守り
申梅(さるうめ)という言葉をご存じでしょうか。
平安時代を生きた第62代村上天皇が、申年に漬けた梅干しと昆布茶を飲んで病気を癒やしたことから、申年の梅には神が宿るといわれています。
厄難が「去る」と「申(さる)」とをかけ、縁起物という見方もありますが、1000年以上も前からのいわれが現在まで残っているのですから、なにかしらのご利益があるのでしょう。
食せば薬になり、持っているだけでも転倒を防ぐ(こけざる)ということで申年の梅はお守りとしても大事にされています。
堀越神社にも、申年の梅を伝統にのっとって奉製した「こけざるの梅」というお守りがあります。
足腰の弱い方や病気がちの方は所持されると申梅のご利益を得られるのではないでしょうか。
うろこ柄の「宝尽くし」お守り
日本には、柄に意味を込めた文様というものがあります。
うろこの柄には蛇や龍、魚などがうろこで身を守るというところから、厄除けの文様としての意味合いが含まれています。
宝尽くしには、打ち出の小槌や巻物などの宝物を散らし描くことで招福を招く吉祥文様の意味合いがあります。
縁起のよいふたつの文様を重ね、うろこに宝尽くしの刺繍のあるこのお守りは、諸願成就・福寿招来・厄難消滅のご利益を授かることができるといわれています。
色合いも美しく、家族や恋人同士で色違いを持つのもおすすめです。
厄年祈願にも人気の堀越神社
こけざるの梅、宝尽くしのお守りなど、厄除けのご利益を授かることのできるお守りも授与されている堀越神社は、厄年の祈願に来る人も多いそうです。
というのも、多くの神社は南向きもしくは東向き(太陽の昇る方向)であることが多いのですが、堀越神社も例に漏れず、東向きの神社に当たります。
男性の厄年では数え年42歳が本厄と呼ばれ、もっとも大きな厄年となりますが、その年に東向きの神社をお参りすると厄難除けになるといわれます。
そのようないわれから、厄年の祈願のために参詣する人が多く見られます。四天王寺の裏鬼門を守る堀越神社であれば、厄除けのご利益を賜ることができるというのも当然でしょう。
まとめ
四天王寺の守護のために建立された堀越神社は、熊野詣のスタート地点となったり、天下人であった徳川家康の危機を救った稲荷社がお祀りされていたりと、時代のターニングポイントに大きくかかわってきました。
今でも、一生に一度の願いを聞いてくださるという「ひと夢祈願」は人気があり、時代が移ろっても夢を叶えたいと切実に願う人の心は変わりません。
一生のうちにどうしても超えたい壁にぶち当たったとき、堀越神社をお参りし、「ひと夢」を叶えるサポートをお願いしてみてはいかがでしょうか。
ぜひ行ってみましょう!