露天神社とお初天神
梅田界隈を指す大阪キタの地で約100店舗を連ねる曽根崎お初天神通り商店街の片隅に鎮座する露天神社(つゆのてんじんじゃ)は観光やショッピングの休憩、デートスポットとして絶えず人が訪れています。
露天神社は『曽根崎心中』の舞台にもなりました。曽根崎心中といえば、江戸時代に作られた恋愛ストーリーという認識の方も多いのではないでしょうか。
実際起こった心中事件を、近松門左衛門が人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したことから大ブームが起こり、後世まで語り継がれています。
心中という選択を遂げたお初と徳次郎は、その悲劇から供養を含めて神社に祀られ、露天神社は通称「お初天神」と呼ばれるようになりました。
露天神社に祀られる神様と御利益とは
恋愛成就だけじゃない、お初天神の数々の御利益
ご利益は曽根崎心中にならった縁結びを始め安産、学業成就、商売繁盛、金運上昇、皮膚病治療、美人祈願などがあります。
また、曽根崎を始めとした梅田の地域全体の総鎮守とされ、地元の人々からも愛されています。
古くから日本に名をはせる露天神社5柱の神
露天神社に祀られている神様は、日本全国でも有名な以下の5柱です。
日本神話にも登場する多くの神が祀られています。
◇少彦名大神(すくなひこのみこと)
国造りの協力神、薬、酒造、温泉の神。一寸法師のモデル。名前は「手からこぼれ落ちる程小さな神」の意味があります。
◇天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
太陽、農耕、機織などの女神。日本神話の主神で、この世に光と秩序をもたらす神とされます。
◇大己貴大神(おおなむちのみこと)
別名は大国主神。少彦名大神と共に国土創造を行った神。国の発展に必要な人=男女が豊かに生きるための縁を結ぶ神といわれています。
◇豊受姫大神(とようけひめ)
稲穂を豊かに実らせる穀物・食物の女神で稲荷神。天照皇大神のマネージャーとしても活躍し、衣食住の神とされることもあります。
◇菅原道真(すがわらのみちざね)
頭脳明晰で幼少期には神童と呼ばれ、青年期には学者の最高位(文章博士)を取得した天皇の忠臣。
没後に雨を降らす火雷神、学問・勉学の神と神格化されました。
恋愛成就で有名な露天神社ですが、日本神話にも登場する神々が多く祀られています。
曽根崎心中の舞台というだけでなく、多くの神様が祀られ、ご利益を求め参拝する人が今日も絶えません。
露天神社の摂社
「水天宮」と「金毘羅宮」
露天神社には末社「水天宮」、「金毘羅宮」、「玉津稲荷」があります。
その中でも多くの女性から信仰されているのが水天宮です。
御祭神の中には壇ノ浦の戦いで5歳の時、瀬戸内海に身を投げた安徳天皇や崇徳天皇、住吉大神といった水の神、安産、児童守護の神が祀られています。
子授け、安産、金運、水関係、児童厄除け、交通安全などの御利益があるとされ、周辺のスナックや水商売で働く人も多く訪れています。
拝殿には幼子を抱いた女性の石像が行く人の視線を集めます。
玉津稲荷
玉津稲荷神社は開運稲荷社とも呼ばれ、玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神が祀られています。
鳥居のすぐ側には「百度石」が立てられています。
お百度参りと言われる100回を1セットとして参道の入口から本堂まで往復する参拝方法のことで、百度石はその際の基点となります。
(玉津稲荷のキツネも氏子から贈られた疫病感染防止のマスクがつけられていました。)
露天神社で授かるお守り
露天神社には希望ごとにたくさんの種類のご利益をもたらしてくれるお守りがあります。
お守りや祈願を書き込む絵馬、お札などバリエーションが豊かでデザインも美しいものが並びます。
縁結びお守り
露天神社の看板となっている曽根崎心中のお初と徳兵衛が並ぶデザインの縁結びお守り。
ピンク色のものとブルーやグリーンがあり、カップルがペアで授与されるのも縁起がよいです。
◇天然石お守り(1000円)
◇貝デザインの鈴つきお守り(1200円)
◇パワーストーンブレスレット(1500円)
◇紐が編まれた願輪お守(1200円)
などがあります。
露天神社(お初天神)の絵馬
絵馬は複数種類あり、どれも人気があります。
◇お初の顔を書き込む「美人祈願絵馬(鈴付き)」(800円)
◇安産の象徴とされる可愛らしい犬張子(いぬはりこ)が描かれた「安産祈願絵馬」(700円)
◇稲荷神が描かれた「商売繁盛絵馬」(700円)
◇お初と徳兵衛が寄り添う絵馬は特にハート型が人気の「良縁成就絵馬」(700円)
絵馬は季節を問わず書き込みが多く、海外からの参拝者が書き込むこともあるほど人気があります。
露天神社の御朱印
露天神社の御朱印は、本殿と摂社で計6種類あります。
使用されている紙の色や柄が違うのが特徴的です。和紙には金粉がちりばめられていたり、曽根崎心中の二人や社殿が描かれたりして、華やかな雰囲気の御朱印ですね。
御朱印帳に直接書いていただく場合も達筆だと好評です。
恋人の聖地の「難点石」で難を福に転じる力を授かる
(近辺のスナックのママから贈られたマスクを着用するお初と徳兵衛)
露天神社の本殿の正面から左に進んだ先にある「恋人の聖地」は、お初と徳兵衛の石碑が立つ場所です。
そこに八角柱の石の上に、ボーリングの玉程の大きさの石が水の勢いでくるくると回っています。
これは「難点石(なんてんいし)」と呼ばれるもので、難を転じて八徳を得ることができる球とされています。
受けたい徳に合わせ男性は左へ、女性は右へ祈願しながら回すことでご利益を得ることができると言われています。
難を水に流す、難を転じて福とするという意味合いがあり、境内には赤い球と白い球が置かれ、現状から抜け出したい、新たな発展を望むなど、自らの手で回すことで好転を祈願することができます。
また、水に浮かべて結果が出てくる「恋みくじ」も難点石を回す水を使用します。恋みくじは若い女性に大変人気があり、複数人で同時に浮かべたりする様子で難点石周辺はいつもにぎわっています。
恋人の聖地、お初天神のある曽根崎の歴史
今や大阪で最も人口密度・商業施設の数が多い梅田。にぎわいの様子からは想像し難いかもしれませんが、周辺一帯は現在のような列島ではありませんでした。
社伝では、露天神社周辺は曽根崎洲という孤島で大阪湾に浮かぶ一つの島と残されています。
隣接する現在の福島区周辺も「福島」という島だったことから、江戸時代当時の大阪の人々が小さな島で暮らしていたことがわかります。
露天神社のある曽根崎洲の歴史は深く、850年に定められた「難波八十島祭」の一社に含まれていた長い歴史を持つ神社です。
難波八十島祭とは、天皇が皇位継承の際に行う大嘗祭(だいじょうさい)があり、その翌年にだけ行われる希少な行事です。
天皇の乳母が天皇の衣を携えて大阪湾や淀川河口に浮かぶ小さな島々を回遊する祭りで、御代天皇の安泰や土地の発展を祈る祭りと言われています。
この時「住吉住地曽祢神」が祀られたことから、その名前が転じて曽根崎という地が生まれました。
露天神社という名前は、梅雨の時期には神社の前の井戸から水が湧き出たことや、菅原道真が大宰府へ流される途中で立ち寄った際に無念から涙を流しながら詠んだ
―露と散る
涙に袖は朽ちにけり
都のことを思い出づれば―
と詩を残したことからつけられたともいわれています。
露天神社は通称「お初天神」の名前で知名度の高い露天神社ですが、長い歴史のある由緒正しい神社なのです。
恋をする人の心を揺るがす曽根崎心中のストーリー
近松門左衛門が書いた曽根崎心中はこんなお話
お初と徳兵衛、騙されて借金地獄へ…
元禄16年、夏の初めのことです。十代後半の天満屋の遊女「お初」はもの憂げな顔をしていました。
深く言い交わした仲にある客の徳兵衛が、ここ数日ぱったりと来なくなったのです。
徳兵衛には勤め先の平野屋の主人から縁談の話が持ちかけられていたため、その娘を選んだのかと思い始めていたころです。
お初は大阪三十三番の観音めぐりを終え、生玉神社で休憩していると徳兵衛とすれ違います。
徳兵衛は人目を気にして笠を目深にかぶり、青ざめた顔をしていました。
お初は最近店に顔を出さなくなった徳兵衛に駆け寄り、寂しさと怒りをぶつけます。
徳兵衛はお初を引き寄せ、震えた声で話しました。
「お初、お前と逢うのは最後かもしれん。縁談の話は断るが、既にお袋が銀二枚を受け取ってしまい取り戻すのに時間がかかった。」
お初の顔が少しゆるんだ矢先、徳兵衛は続けます。
「お袋から取り戻した持参金が…金に困った油屋の九平治の奴に騙し取られてもうた。
顔が広いから縁談の話を丸く納めて、お初との仲を取り持ったると言われて、つい渡してもうた…これで俺は罪人や」
持参金は娘が嫁に行く時に、夫となる男性の家に贈るお金のことです。
九平次は天満屋にもよく顔を出す客で、お初も知っている男でした。
「そんな大金を…どおりで九平次さんの最近の遊びっぷりが派手なわけでございますね」
騙されたとはいえ、このままでは持参金詐欺での罪人になってしまう徳兵衛。打ち首は免れない事態です。
「あたしがこの身に代えても徳様をお守りします。」
憔悴する徳兵衛をお初は自分の打掛の中に入れ隠し、徳兵衛は這うようにして隠れ店に入っていきました。
お初と徳兵衛が店に入った後、九平次と仲間たちが「おう、女郎様方」とほろ酔い気分で店に入ってきて、ドカッと座り込みます。お初を見つけた九平次が得意げに話しかけました。
「お初さんや、あんたと仲のええ徳兵衛には金輪際付き合いをやめえや。
あいつは平野屋の主人から頂戴した持参金を、事もあろうに派手に使い込んでしもたらしいで。そんな罪人とは縁を切り、ワシと仲ようしようや。」
打掛に隠れている徳兵衛は怒りに身を震わせ、今にも飛び出して行きそうでしたが、お初がキセルをくゆらせながらそれとなく足で徳兵衛を止めます。
「あら騙し上手な九平次さん。その大金であたしとうわべだけの恋をするというのですか?
騙された証拠もなく、どうしようもない徳様がもし死ぬというなら、わしも一緒に死ぬ覚悟でありんす。これがあたしと徳様の本当の恋でありんす。」
力強くつっぱねたお初は足をピシリと徳兵衛に突きつけ、徳兵衛もそれに答えるようにお初の足に首を突きつけ合図を返しました。居所が悪くなった九平次は、小言を言いながら退散します。
こうして夜は深け皆が寝静まった頃、心中を決意した二人は店を抜け出します。
はやる気持ちを抑え、物音を立てぬよう、当てがないまま暗い夜道に飛び出しました。
死に場所を探しさまよう二人
「徳様、どこに行こう」
「東にある、曽根崎の森に行こう」
死に場所を求めて曽根崎の森にある露天神社に辿りついた二人。戻る道はもう無いと、徳兵衛は自分の脇差しを取り出します。
夜明けが迫りお初は早く自分を刺すよう徳兵衛を急かしますが、徳兵衛は愛した人に刃を向けることができず、何度も刃が体から逸れてしまいます。
弱る心の中、息も絶え絶えに「南無阿弥陀仏」を唱えながら、徳兵衛はついにお初の喉元を切り裂きました。
「息を引き取るのはどうか同時に。」
夜明けが迫った頃、徳兵衛は自身の喉に剃刀を差し、お初の体の上に折り重なって共に命果てたのです。
心中事件から約一か月後に発表された曽根崎心中を書いた近松門左衛門はこう締めくくっています。
—誰が告ぐるとは 曽根崎の 森の下風 音に聞え
取伝へ 貴賤 群集の 回向の種
未来成仏 疑ひなき 恋の手本と なりにけり—
(誰が告げるのか、曽根崎の森の下風が音を立てるように人の耳に届き、言い伝えられた。
聞いた者は貴族も平民もなく、冥福を祈ることになるだろう。
二人はこれから成仏し、疑いのない恋の手本になるのだ。)
曽根崎心中が美談とされ世に出たことから、行き詰った男女の心中が増える社会現象が起きました。
民衆の涙を誘う曽根崎心中は現代でも繰り返し上演される有名な物語となりました。
昭和47年には融資によって石碑が建立され、300回忌には氏子から寄付で二人のブロンズ像が造られました。
このことから露天神社(お初天神)は恋人の聖地としても名を広げ、今日でも恋愛成就のご利益を求める多くの人が訪れています。
露天神社(お初天神)のアクセス
駅から徒歩圏内。お初の看板が目印
露天神社はグルメスポット「曽根崎お初天神通り商店街」に隣接しており、商店街の入り口にはお初の看板が目立っています。
付近には阪神百貨店、阪急百貨店、赤い観覧車が目印のHEP FIVE、曽根崎警察署が目と鼻の先にあります。
大阪一の都市を楽しみながら参拝したい方におすすめです。
入口は商店街内にもあり、待ち合わせのスポットになることもあります。
露天神社(お初天神)アクセス詳細
住所:大阪府大阪市北区曽根崎2丁目5番4号
参拝時間:6時~24時(社務所受付:9時~18時)
最寄り駅:各駅から徒歩10~15分
- JR線…大阪駅・北新地駅
- 大阪メトロ…(谷町線)東梅田駅(7番)、(御堂筋線)梅田駅、(四つ橋線)西梅田駅
- 阪急電車…梅田駅
- 阪神電車…大阪梅田駅
- 京阪電車…淀屋橋駅、大江橋駅(北へ)