「仁徳天皇陵」という言葉を聞くと、学生時代に勉強をした歴史の時間を思い出す人もいるかもしれません。
また、仁徳天皇陵と聞いてピンと来ない人の中には「大山古墳」という言葉を聞くことで、思い出す人もいるでしょう。
仁徳天皇陵は歴史の教科書の中では「大山古墳」と表記をされることもあり、「どちらが正しい名前なの?」と疑問を感じた経験がある人もいるかもしれません。
そんな仁徳天皇陵は2019年にユネスコ世界遺産に登録をされた、注目の文化遺産です。
しかし、上述した疑問点などから「謎が多い」と言われています。
この記事では、仁徳天皇陵の謎や観光を訪れる際に知っておきたい完全ガイドを解説するので、ぜひ参考にしてください。
そもそも仁徳天皇陵とは?
仁徳天皇陵と聞くと思い浮かべるのは鍵穴のような形をした「前方後円墳」ではないでしょうか?
建造には約20年の歳月がかかったとされており、クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と並ぶ『世界三大古墳』に認定をされています。
場所は大阪府堺市「百舌鳥(もず)エリア」で、周辺には倍塚(ばいちょう)と呼ばれる小さな古墳が建造されました。
当初は約100基近くの古墳があったとされていますが、都市開発等が原因で半数以上が失われる結果となっています。
大きさは全長486mで日本最大の大きさを誇っており、何と言っても最大の特徴は上空から見たときに分かる四角と円を合体させた日本独自の造形です。
管理をしているのは「宮内庁」でありますが、実は未だに被葬者が分かっていません。
「仁徳天皇陵なのだから、被葬者は仁徳天皇じゃないの?」と疑問に感じる人も多いでしょう。しかし、この点が解明されていないからこそ、仁徳天皇陵は謎多きものなのです。
天皇陵なの?古墳なの?
仁徳天皇陵の正式名称は「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵」です。
被葬者は仁徳天皇とされており、法令書「延喜式」に記載されています。
しかし、未だ本当に被葬者が仁徳天皇であったのかが解明されていないため、学者の間で様々な議論が行われてきました。
だからこそ、歴史の教科書の中には、曖昧な事実を掲載しないため、遺跡名の「大山古墳」といった表記をしているものが多いのです。
被葬者とされている「仁徳天皇」とはどんな人物?
被葬者の謎は未だに解明されていませんが、仁徳天皇陵周辺を観光するのであれば、仁徳天皇についての知識をつけておくと、謎に包まれた仁徳天皇陵巡りを楽しむことができるでしょう。
まず、仁徳天皇は16代目の天皇とされており、応神天皇の第四子です。
幼い頃から聡明で、生涯を通して国民のことを何より優先する慈悲深い人であったとされています。
逸話として有名なのが『民のかまど』です。
天皇に即位した仁徳天皇が高殿から国を見渡した際、民家のかまどに煙がたっていないところを確認されました。
これは民が貧しいからであると考えられた仁徳天皇は、当時3年分の税の貯蔵があったため、国民に3年間納税を禁じると命ぜられたのです。
この期間は天皇という身分である仁徳天皇も貧しい生活をしておられたといわれています。
こういった国民のことを優先する姿勢に心を打たれた物は多く、納税を禁止されていた三年間が終了したあと、自主的に納税が行われました。
大阪初の世界遺産!仁徳天皇陵古墳が選ばれた理由とは?
2019年7月6日に仁徳天皇陵は「ユネスコ世界文化遺産」に登録をされました。
ちなみに、登録名は「仁徳天皇陵古墳」で、陵墓、古墳どちらの要素も混ぜた名前になっています。
また、仁徳天皇陵は宮内庁が管理している陵墓(皇室の祖先のお墓)が登録をされたのは初めてのことです。
では、どうして皇室のお墓とされる仁徳天皇陵が世界遺産に登録をされたのでしょうか。
仁徳天皇陵古墳は、まず構造が洗練された作りとなっており、古代の日本文化や社会、そして政治の動きを照明する物であると評価をされました。
また、都市開発の影響で多くの古墳が失われることになったのですが、地元堺市民が行った住民運動がキッカケとなり、保護されてきた古墳も多くあります。
したがって、堺市という地域に根ざした古墳である…という評価も相まって、世界文化遺産に認定されたとされているのです。
ユネスコ世界遺産の種類について
「世界遺産」という言葉を聞く機会は多いですが、世界遺産がどういったものであるのかを詳しく知らない人は意外と多いのではないでしょうか。
まず、世界遺産というのは1972年から認定が開始されたもので、現在を生きる世界中の人々が歴史を受け継ぎ、未来へと引き継いでいかなければいけない「人類共通の遺産」のことを指します。
種類は全部で3つあり、「自然遺産」「文化遺産」「複合遺産」に分けられているのです。
ちなみに日本の世界遺産は2020年7月現在で23あり、そのうち19が文化遺産、4つが自然遺産です。
仁徳天皇陵を見学したい!よく見える場所はある?
仁徳天皇陵は世界3大古墳のうちの一つなので、歴史好きな人はもちろん、「教科書でみた前方後円墳を目にしてみたい」と現地を訪れる人は多いです。
しかし、全長486mにも及ぶ巨大な前方後円墳の全長は高い位置から見ることでしか目にすることができません。
また、仁徳天皇陵はあくまでも天皇の祖先のお墓であるため、管理は厳重に行われており敷地内に足を踏み入れることもできないのです。
ただ、せっかく訪れたのであれば近くで前方後円墳を感じたいと思う人は多いでしょう。
ここからは、仁徳天皇陵を見学できる場所や、良く見える場所を紹介します!
最寄り駅から仁徳天皇陵を感じることができる!
仁徳天皇古墳の最寄り駅は「JR阪和線:百舌鳥駅」です。
また「JR阪和線:三国ヶ丘駅」からも仁徳天皇陵を見ることができるスポットがあります。
最寄り駅の百舌鳥駅は、改札を出てすぐの場所にある歩道橋が見えるスポットです。
ただし、こちらからは外堀がちらっと見える程度なので、仁徳天皇陵に向かう前に立ち寄ると良いでしょう。
三国ヶ丘駅には「みくにん広場」という広場が駅ビルの3階にあります。
こちらには仁徳天皇陵の眺めることができるスポットが用意されていますが、同じく外堀のみが見えるだけではあります。
歴史の知識も増える!堺市博物館では体験ツアーが受けられる!?
堺市博物館は、堺が誇る歴史や文化を展示している博物館になります。
2019年に仁徳天皇陵が世界遺産に選ばれてからは訪れる人も多くなっているでしょう。
常設されている展示の中には「百舌鳥古墳群と堺の歴史・文化」が知れるものや、レプリカではありますが「世界遺産一覧表記認定書」も展示されています。
こちらでは「VRツアー」で空撮された前方後円墳を見ることができます。
なかなか前方後円墳を生で観るのは難しいため、このような形で目にすることもおすすめです。
【住所】 | 大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁 大仙公園内 |
---|---|
【時間】 | 9:30-17:15(最終入館16:30) |
【入場料】 | 一般200円、高校・大学生100円、小中学生50円 |
【VRツアー料金】 | 中学生以上800円、7歳以上の小学生500円(博物館常設展観覧料も含まれています) |
堺の街と古墳を無料で堪能できる【堺市役所】
堺市役所の21階には「展望ロビー」があります。
地上80mの高さから堺の街並みと百舌鳥古墳群を眺めることができるのです。
展望ロビーは360度どの位置からも楽しむことができ、前方後円墳の後円部分を目にすることができるでしょう。
この場所が無料で一番前方後円墳を目にすることができる場所なので、ぜひ足を運んでみてください。
また、展望ロビーにはカフェもあり、仁徳天皇陵にちなんだメニューも用意されていますよ!
【住所】 | 堺市堺区南瓦町3-1 |
---|---|
【時間】 | 9:00-21:00 |
【アクセス】 | 南海高野線「堺東駅」徒歩5分 |
リッチに遊覧飛行はいかが?前方後円墳の全長があきらかに…!
仁徳天皇陵は全長がかなり大きいものであり、宮内庁の管轄で管理されているため間近で目にすることは難しいのが現実です。
しかし、教科書で見たあの古墳の形をなんとか目にしてみたいと思う人もいるかもしれません。
そんな人におすすめしたいのが、セスナやヘリコプターを利用した遊覧飛行で見ることです。
八尾空港では仁徳天皇陵を見るコースが組まれており、高度500mの高さから仁徳天皇陵を満喫することができます。
【セスナを利用する場合】
セスナは第一航空/朝日航空の二社が運行をしています。
時間は第一航空が18分と22分のコース、朝日航空が20分のコースで遊覧をしてくれます。百舌鳥古墳群を自身の目で眺めることができる絶好の機会になるでしょう。
【料金】
第一航空:18分32,987円(税込み),22分40,317円(税込み)
※3名まで搭乗可能
朝日航空:おとな一名10,600円(税込み)子供1名7,400円(税込み)
※大人2名~搭乗可能(3名まで)
【ヘリコプターを利用する場合】
第一航空ではヘリコプターでの遊覧飛行も行っています。
セスナに比べて視界が広くなるため、より鮮明に仁徳天皇陵を目に焼き付けることができるでしょう。
【料金】
標準コース,12分36960円(税込み)
たっぷりコース18分,55440円(税込み)
※3名まで利用可能
仁徳天皇陵を見に来たなら!グルッと1周して古墳探索をしよう!
仁徳天皇陵の1周は2815mです。
フラットなコースになっているため、地元の人からはウォーキングやランニングコースとしても愛されています。
仁徳天皇陵の敷地内には入ることができませんが、外堀をグルッと巡ることでより歴史や文化の深みを知ることができるでしょう。
例えば、南側には大山公園があり「堺市博物館」が中にあります。
また、世界遺産に登録をされてから周辺飲食店が「仁徳天皇陵」に関するメニューを販売しており、地域をあげて仁徳天皇陵をプッシュしています!
インスタ映えするものも多いので、休憩がてらに訪れてみてはいかがでしょうか?
例えば、仁徳天皇陵の近くに「花茶碗」では、古墳の形をしたご飯が盛り付けられたカレーが提供されています!また、堺は歴史の教科書で御馴染みの「千利休」が誕生した場所としても有名で、お茶の文化を楽しむことができます。
歴史や文化を感じられる食事処もあるので、ぜひ足を運んでみてください。
そして、グルッと1周をする魅力はなんといっても数ある陪塚を目にできるでしょう。
スタート地点の「JR阪和線:中百舌鳥駅」から時計回りにゆっくりと散歩してみてはいかがでしょうか?
道を案内する看板も多く建てられているので、道に迷うこともないでしょう。
また、所要時間は徒歩約1時間ほどなので、水分補給や休憩を取りながら歴史を肌で感じてみてください。
【お食事処花茶碗】
住所:堺市堺区百舌鳥夕雲町2-265
営業時間:11:00-19:00
※定休日:不定休
仁徳天皇陵古墳には謎がいっぱい?
「陵墓」と」「古墳」という別々の墓を表す名称が付けられている、仁徳天皇陵古墳には解明されていない謎がたくさんあるといわれています。
一番有名なものは、被葬者が定かではない…という問題でしょう。
誰が入っているお墓であるのかが分からないのにも関わらず「陵墓」として扱われることは、本当に珍しいことであり、研究者の中にはこの名前の付け方に反対をしている人もいるのです。
また、仁徳天皇陵が造られた時期も明確になっておらず、様々な説があります。
発掘された須恵器などから西暦471年ごろにあたると言われており、5世紀中頃に造られたという説が濃厚ではありますが、そうなると仁徳天皇が無くなった399年と約50年のズレが生じるのです…。
謎とされている説の中には「仁徳天皇は存在していなかった」なんていう説もあり、全てを解明することは難しいでしょう。