大阪市にある大国主神社(おおくにぬしじんじゃ)は「敷津松之宮(しきつまつのみや)」の摂社に鎮座している神社です。
神社の参道は南北方面に面する「敷津松之宮」と、東西方面に面する「大国主神社」の二つがあり、境内は参道が十字に交わるように建立されているのが特徴的です。
大阪のミナミに位置する敷津松之宮は難波駅、天王寺駅からもアクセスの立地がよく、商売繁盛と金運向上の神を祀っており、徒歩圏内の「今宮戎(いまみやえびす)神社」と併せて多くの人が参拝に訪れています。
決して広い敷地ではありませんが、毎年初詣や十日戎では開運成就のため祈願する参拝者が殺到しています。
OsakaMetro「大国町」駅の②番出口から徒歩約3分。
大阪の「お金の神様」を代表する敷津松之宮内の大国主神社に行ってみました。
大国主神社の歴史
神功皇后が心配して建てた三本の松が始まり
大国主神社は、勇敢な女性天皇「神功皇后」が朝鮮半島を制して帰還した際、住吉大社に凱旋報告するために敷津浦を航海したところ、大波が打ち寄せられているのを見ました。
心配した神功皇后は「この木より上に潮が満ちないように」と願い、松の木を三本植えたことで敷津松之宮としました。
時は流れ1744年(延享元年)、出雲大社を勧請せよと神のお告げがあり、摂社の大国主神社が建てられました。
現代では大国主神社は今宮戎神社と徒歩圏内にあり、商売繁盛と金運上昇を2社併せてご利益を授かるよう参拝されるようになったことから「えびす・だいこく両社詣って本参り」という言葉が語り継がれるようになりました。
大国主神社は大阪ミナミの七福神を祀る寺社をめぐる「大阪七福神めぐり」のスタートの地にもなっています。
七福神めぐりは各寺社を約2時間で徒歩で参ることができ、ミナミの町を感じることができます。
(七福神めぐりの一つ、商売繁盛の戎大神を祀る今宮戎神社)
(七福神めぐりの一つ、知恵財宝の弁財天を祀る法安寺)
木津の大国さん、境内にある銅像「木津勘助像」とは
敷津松之宮は、境内にある摂社の大国主神社(おおくにぬしじんじゃ)で知名度が高く、最寄り駅の「大国町」駅の名前にも由来するほどです。
地元の人からは『木津の大国さん』や『ダイコクさん』と呼称され、親しまれています。
木津とは、大国主神社境内に建立されている土木技師の中村勘助(木津勘助)像に由来します。
◇お礼も、嫁の持参金も受け取らない謙虚な男だった勘助
中村勘助は1586年(天正14年)に神奈川県で生まれました。
足柄の藩の重臣の家柄で武芸の腕前、学問の嗜みもありましたが、日傭取り(ひようとり、現代の日雇い労働者を指す)の道を選びました。
勘助は親の墓参りのために大坂に訪れた際、大金を拾い持ち主に届けたにも関わらず、お礼を受け取らなかったほど謙虚な性格であったとされています。
また、豊臣秀吉と徳川家康の戦のために、河川には多くの武士の遺体が淀川に流れ着いていましたが、遺体を拾い上げ弔う事業も行いました。
豊臣秀吉に仕えた後、木津川の治水、姫島(大阪市西淀川区)の堤防工事、勘助島の開発などを行い、大坂のいたるところで人々の生活の発展に貢献しました。
◇「ナニワの英雄(ヒーロー)」といわれるようになった木津勘助
大坂は当時「水の都」と呼ばれる程、殆どの土地が今と違い小さな島々で形成されていたため、雨季や悪天候が起きるたび河川が氾濫しやすく、堤防の工事は大掛かりで労力を要したといいます。
勘助は堤防が水害を防いだことから、納める税金の一部を免除されました。
そして1639年(寛永16年)、世は大飢饉に見舞われました。困窮した村人たちを救いたいと、勘助は私財を投げうって村人たちに分け与えていましたが、それでも足りず、人々の生活は立ち直せずにいました。
熟考した末、勘助が出した答えは大坂城の備蓄米を盗み出す「お蔵破り」というものでした。米を村人たちに配給し終えると、勘助は自首し流刑となりました。
しかし、狙った蔵は売買契約の関係で害なかったため、流刑されたのは隣にある葦島(あしじま、現在の大正区)でした。流された後は、75歳で亡くなりました。大正区の上八坂神社の境内にも中村勘助之碑があります。
木津勘助は大阪の住みよい街づくりに貢献したことから、後に「木津大国町」や「木津勘助町」という町名も生まれ、大国主神社境内にも銅像が建てられたのです。
大国主神社の主祭神とご利益
敷津松之宮神社・大国主神社は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と大国主命(オオクニヌシノカミ)を主祭神として祀っています。
素戔嗚尊は8つの頭をもつ大蛇を退治した「ヤマタノオロチ伝説」、大国主命はサメを騙したことで皮を剥がれて仕返しにあった兎を助けた「因幡の白兎伝説」で知名度があります。
敷津松之宮と大国主神社は両社とも神々が集まると言われている出雲大社から分霊されました。
商売繁盛、金運上昇、縁結び、子授け(夫婦円満)、五穀豊穣、航海守護など、多岐にわたるご利益が与えられるとされています。
宝くじ当選で一躍有名に…大国主神社のお守り「種銭」とは
商売繁盛の神から授かるお金の種
大国主神社は商売繁昌(繁盛)の御利益があるとされ、商売を営む人や独立・自立などを目指す人々が参拝に訪れます。
大国主神社にはお守は複数ありますが、中でも金運上昇のご利益があるとされているのが「種銭(たねせん) 初穂料500円」です。
種銭は文字通りお金の種の意味合いがあるお守です。種とは発芽し、実を作り、また後世のために種を落とす(残す)と考えられています。
「お金は仲間(お金)がいる場所に集まってくる」と考えられており、空っぽの財布の中にあらかじめ種となる硬貨を入れておくと良いとされています。
種銭の入手方法と扱い方
種銭は財布や金庫、レジの中に入れておくとお金が増えるといわれており、そのご利益から大国主神社に種銭を求めて足を運ぶ人も少なくありません。普段からお金を入れる場所に置くのが良いでしょう。
テレビで取り上げられ、また著名人が授与したことで功績を残したなどの口コミから入手困難になることがあります。
特に「大国まつり」が行われる1月9日~11日の期間は、江戸時代から今宮戎神社と大国主神社をペアで参る風習があり、毎年境内に溢れんばかりの多くの人が種銭を求めて参拝に訪れます。
限定授与品のため数に限りがあり年末年始は特にすぐに無くなってしまいます。
せっかく人混みの中、種銭授与のため足を運んだのに手に入らなかったという人も多い程、種銭は人気があります。
人混みを避けたいと考えている場合は、年始からしばらく経ったタイミングが手に入れやすいでしょう。
限定授与といわれていますが、時期など公開されているものではないため、時期を選べば授与が受けられます。8月に授与されたという人もいれば、筆者のように2月に手に入ったケースが確認されています。
授与された種銭の中身
種銭は白い紙の中に、さらに二つの紙に分けて「福神金像」と「種銭」が入っています。
福神金像には爪の先にも満たない、1円玉よりも小さい恵比寿神の金像が2体入っています。
財布の縫い目から抜けてしまわないことや、金像が汚れないよう袋に入った状態でしまうのが良いとされています。
種銭は同じく白い紙に包まれています。江戸時代に使われていた四角形の穴のある「古銭」をかたどった金色の銭が入っています。
ご利益は他のお守りと同様、授与から一年間です。一年経つと大国主神社にお返しし、新しい種銭と入れ替えるとより、継続したご利益を授かるといわれています。
大国主神社のご利益体験と入手方法
◇懸賞でお米をゲット
筆者の知り合いに種銭を贈ったところ、以前何気なく応募したお米の懸賞に当選したとのこと。
米俵を担いだ姿の「大国さん」らしい御利益です。
御利益は金銭のみならず、懸賞などの運気も上昇してくれるようです。
◇馬券や宝くじの高額当選
種銭を財布に入れていた人が宝くじや馬券を購入したところ、高額当選したという報告が多く上げられ、一時はその噂から種銭を求める人が長蛇の列をなしました。
ギャンブルの神ではないため、あくまでも金運が上がるという神様であることは肝に銘じておきましょう。
くじの高額当選はテレビ番組や雑誌のメディアや、SNSの口コミで度々取り上げられるようになったことから、場合によっては手に入れ難いこともあります。
種銭入手のコツ
種銭は社務所でいただけるため、通常の時期に社務所に尋ねてみてください。
社務所は閉められていることが多いですが、中に神職の方が居る場合は対応して頂けます。
上記にもあるように、初詣と十日恵比寿の時期を避け、メディアでの口コミが爆発的に増えない限り、種銭は手に入れられると考えてもよいです。
(私は種銭についてお話を少しでも聞けるかと思ったが、新型肺炎の感染防止のためか、授与後すぐに窓口を閉められてしまいました…)
大国主神社の御朱印
大国主神社の御朱印は、種銭と同様に社務所で頂けます。
小槌の印が押されているのが、縁起のよさを感じさせます。
書置きの場合が多いため、どうしても御朱印帳に書いてもらいたい場合は宮司の方に相談してください。
窓口が締め切られていることが多いですが、インターホンが備え付けられています。
大国主神社の見どころ
神社では珍しい巨大な大黒天像
大国主神社の見どころは、全国的にも珍しい狛ねずみや巨大な大黒天像です。
大国主神社の本殿には七福神の一人、大黒天像が祀られていますが、高さ約2mもあり、木彫りのものでは日本一の大きさを誇ります。年始や十日戎の際に御開帳され、拝むことができます。
七福神の大黒天といえば福徳や財宝などを与える神で、右手には願いを叶える「打ち出の小づち」を持ち、左手には大きな袋を背負い、ふくよか体格をして米俵の上に乗っている姿が有名です。
大黒天は「ご飯をお供えして参拝することで、その人が一生食べることに困らない」といわれており、大国主と大黒天を結び付けて『大黒(だいこく)さん』と総称されています。
大黒さまは天と地と人を守ることから、家屋の中心となる最も太い柱である大黒柱の語源にもなっています。
全国でも希少!狛犬ならぬ『狛ねずみ』
大国主神社には、狛ねずみは全国的にも珍しい狛ねずみが置かれています。
ネズミが大国主神社の護り神として置かれるようになったのは、大国主神がねずみに助けられたことに始まります。
兎じゃないの?狛ねずみが置かれているわけとは
大国主神(オオクニヌシノカミ)は別名「大穴牟遅(オオナムチ」と呼ばれる神です。大国主にまつわる有名な神話では『因幡の白兎』で兎を助けたとされていますが、大国主のピンチを救ったとされているのはねずみでした。
大国主は真面目で優しく、医学にも明るい存在でした。血の気の多い兄たちの嫉妬から命を奪われ、悲しんだ母親が大国主の命を絶たれる度、甦りを願い生き返らせてもらいました。
しかし何度生き返っても嫉妬は止まず、六代目の祖先「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」に助けを求めることにし、出雲国まで赴きます。その道中でスセリビメという女性と恋仲になりました。
しかし、スセリビメは素戔嗚尊が溺愛した娘でした。結ばれるためには素戔嗚尊が与えるいくつかの厳しい試練を乗り越えなくてはいけません。
大国主が与えられた試練は、一日目の試練はヘビのいる部屋、二日目は蜂や百足の部屋に寝かせられるという試練でしたが、スセリビメの助けもあり乗り越えられました。
そして三日目の試練は、ナリカブラという音が出る矢じりの矢を拾ってくるというものでした。大国主が矢を探しに野に足を踏み入れると、素戔嗚尊が放った火が辺り一面を包みます。
燃え盛る火の中を逃げ惑う大国主の足元に現れたのがネズミです。ネズミは大国主に伝えました。
「内はホラホラ、外はズブズブ!」
これは「内側はホラ穴になっているけど、外から見ると入り口が狭くすぼまっている」という意味合いになります。
ネズミの言葉から大国主はほら穴に落ち込むことができ、火が過ぎるまで隠れることができました。
その上、ネズミはナリカブラの矢を探してきて、大国主に渡しました。
こうして試練を乗り越えた大国主はスセリビメと結ばれ、出雲で新しい国を作ることができたのです。
大国主神社では、このエピソードから長きに渡り大国町の氏神としてねずみを祀ってきました。
ナニワの町に立ち寄ることがあれば、この珍しい狛ねずみを見に行くのも良いですね。
大国主神社のアクセス
大国主神社と敷津松之宮は大通りに面する場所にあり、近隣にはスーパーマーケットや飲食店、オフィスビルも立ち並び、普段から多くの人が行き交う場所にあります。
大阪のミナミ・ナニワの街並みを感じることができるのも魅力の一つといえます。
所在地:大阪市浪速区敷津西1-2-12
最寄駅:
Osakaメトロ 御堂筋線・四つ橋線:「大国町」駅 徒歩約3分
大阪環状線 :「今宮駅」 徒歩約10分
参観時間:9:00~16:00
車でのアクセス:専用の駐車場はありませんが、近隣で有料駐車場があります。
車で参拝に向かう場合は、阪神高速1号環状線で「なんば出口」を利用するのが便利です。
また、近隣のスーパー「ライフ」の駐車場利用をする場合、500円以上買い物をした場合は90分駐車料が無料になります。